誰のせいでもないけれど

出演者
大井満
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 人を許すことが出来ないとき

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アップロード日
2021.05.06
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ローマ人への手紙 3章32節
放送日
2021.05.06

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 「世の光」の時間です。今週のメッセージを担当しています、東京にある板橋教会の牧師、大井満です。
 はるか昔、新婚旅行先で起こった不思議な出来事があります。新婚旅行先で、撮影済みのカメラのフィルムが一本見当たらないことに気づいたのです。自分でゴミ箱に捨ててしまったか、もしくは、ホテルの掃除係りの人が間違って捨てたのではないかと思い、フロントにたずねてみたのですが、フィルムは見つかりません。あれから四十年経ちましたが、今も謎のままです。私としては、フィルムを入れたつもりだけれど、入れ忘れたのではないかと無理矢理納得しているのですが、真実はわからないままです。
 聖書は、私たち人間は、神の前に罪人だといいます。ローマ人への手紙3章23節に、このように書かれています。「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、」
 今日、この放送を聴いてくださっているみなさん、あなたは、「すべての人は罪を犯して」と言われて納得していただけるでしょうか。「いや、そんなことはないはずだ。私は、これまでずっと真面目にやってきた。少しは失敗もしたけれど、『罪を犯し、』などと決めつけられるのは、嫌だ」と思っていらっしゃるかもしれません。
 私たちは知らないうちに、自分で意図しないままに、神様に対して罪を犯してしまっています。それは、何か悪いことをしたというよりも、神様を神様としないで生きている、神様との関わりを持たずに生きてきた、そのことを罪と言っているのです。
 先程、カメラのフィルムの話をしました。意図的にフィルムを入れなかったわけではありません。意図して捨てたわけでもありません。でも、36枚の写真は、結果として残っていないのです。
 ローマ人への手紙は、続けてこのように書いています。「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」
 知らないままに罪を犯し、罪人となっている私たちを、神様は赦してくださいます。私たちを赦すために神様は、イエス・キリストを罪人として裁き、その罪の赦しを信じる人を義して、正しい者として下さるのです。感謝しかないですね。

コメント

石原興一
フイルムの紛失と「罪を犯す」との関係が
今一つ分かりにくかったです。

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石原興一
フイルムが失くなったのは、自分が捨てたのではなく、ホテルのメイドが間違ってすてたのだと他人のせいにする自分と考えたほうが分かりやすかったです。

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