完了した!

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2021.05.01
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 19章
放送日
2021.05.01

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 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。今週は、イエス・キリストが十字架上で発した言葉から、イエス・キリストがどのような方かを紹介しています。
 十字架は、壮絶な苦しみを伴う処刑でした。イエス様は「わたしは渇く」と言われました。それは、肉体的な壮絶な乾きでもありました。そして、人々の罪の身代わりとなって十字架につけられるということは、父なる神様との交わりが途絶えてしまうという霊的な乾きでもあったのです。そしてイエス様は、十字架上で「完了した」と言われました。
 考えてみてください。もし十字架が失敗なら、イエス様は失敗したというでしょう。また自分の意に反して、十字架につけられたのなら、やり残したことがまだある、不当な仕打ちだと叫ぶでしょう。しかしイエス様は「完了した」と言われたのです。
 それではイエス様は、十字架によって何を完了したのでしょう。何を成し遂げて下さったのでしょう。それは、救いを成し遂げて下さったのです。イエス・キリストが来られるまでは、人は神様の律法を自分の力で守ることによって救いを得ようとしてきました。
 でも、そうした数々の戒めを完全に守ることのできる人などいるでしょうか。いえ誰もいません。旧約聖書の戒めは、私たちが神様の基準に達することの出来ない罪人であるということを徹底的に教え、救い主のもとに導く養育係りのようなものだと聖書は教えているのです。
 しかしイエス様は、十字架を通して救いの道を成し遂げてくださいました。それはイエス・キリストが、私たちの罪と罰を十字架で身代わりとなって受けて下さったことによって、イエス様の十字架に免じて、信じる者は誰も神のみ前に、罪のない者として認められるという、素晴らしい救いの道が開かれたのです。ですから私たちは、救われるために細かい戒めを完全に守らなくても、必死に努力する必要も、また、守れない自分に絶望する必要もありません。
 自分の弱さを認め、そんな自分に代わって、十字架についてくださったイエス・キリストを救い主として信じ、赦しと救いを感謝して受け取り、神様の愛と恵みの中で喜んで生きていくことができるのです。つまり、イエス様が「完了した」と言われたのは、私たちに与えられる救いの御業が完了したということなのですね。なんと嬉しいことでしょう。

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