主イエスの恵みによって救われる

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2021.04.23
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] 使徒の働き 15章11節
放送日
2021.04.23

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は使徒の働き15章11節から「主イエスの恵みによって救われる」と題してメッセージをお伝えいたします。
 「私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人たちも同じなのです。」
 15章は、キリスト教会にとっては初めての会議の記録です。それは、ガラテヤ書にあるテーマ、「信仰によって人は神に義と認められる」という、基本的な教理についての議論であり、キリスト教会が、公に原則を確認しあった歴史的に大変重要な出来事でした。
 そもそもの発端は、ユダヤ教的な背景で生まれ育ったユダヤ人のキリスト者が、そのような背景のない異邦人のキリスト者の救いについて、モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われないと異議を唱えたことによるものでした。しかしそれは、聖書的な考え方というよりも、聖書の教えに自分たちの文化を付け加え、異邦人に押し付けようとする行為でした。
 こうして、救いの本質の理解をめぐって、教会に議論が持ち上がったのです。そして、この問題に決着をつけるために、教会は会議を開きました。激しい論争の後、ペテロが自らの経験と、現実に教会に起こっている出来事に訴えて、異邦人がユダヤ人の文化に習わずとも救われている事実を示します。そして、バルナバとパウロが、ペテロの話を裏付ける主の異邦人に対するみわざを語っています。
 最後に、エルサレム教会の指導的な立場にあった、主の兄弟ヤコブがまとめています。神の与える救いに、どんな民族的、人種的、文化的な要件も加えないこと、ただそれらに配慮すべきことが語られていますね。
 確かに、キリストの十字架にある罪の赦しは、完全なものであり、何一つこれに付け加えるべきものはありません。神はただ恵みによって、つまりイエスの十字架のわざのみによって私たちを受け入れて下さったのです。私たちの育ちや家柄、行い、熱心さ、何一つ関係がありません。そうであるからこそ、救いは大きな喜びでもあるのですね。では今日も良き一日となるように祈ります。

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