イースターSP「死は、休息と眠り」

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 死や命について考えているとき
  • イースター

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アップロード日
2021.04.05
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] ヨブ記 3章17-19節
[新約聖書] マルコの福音書 5章
放送日
2021.04.05

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか、板倉邦雄です。昨日は、全世界のキリスト教会でイエス・キリストの復活祭、イースターをお祝いしました。そして昨日から、復活節に入りましたので、今週は、キリストの復活の意味と希望をお話しいたしましょう。そこで一回目と二回目は、聖書が語っています「死」を取り上げたいのです。
 今、全世界がコロナ渦の中にありまして、死という現実がとても身近なものとなってきました。しかし死は、今始まったばかりではありません。私たちが「おぎゃぁ!」と生まれた時から死はそばいて、付き合っていく相手ではないでしょうか。
 では聖書は、恐怖の死を何と語っているのでしょうか。まず死は、いこいと解放です。この世は苦の娑婆です。生老病死の四つの苦しみがあります。それだけではありません。愛する者との離別の苦しみ、嫌いな人と共に生活する苦しみ、求めても求めても得られない苦しみ、そして五体満足のゆえの苦しみがありますね。まさに人生は、四苦八苦の連続です。
 しかし聖書は、死を、そのような人生の苦しみからの解放として語ります。旧約聖書のヨブ記の3章の17節~19節で、ヨブは、死者の世界を休息と解放として、次のように語りました。
 「悪者どもはいきりたつのをやめ、力のなえた者はいこい、捕らわれ人も共に休み、追い使う者の声も聞かない。下の者も上の者も同じで、奴隷も主人から解放される。」
 もう一つ、死は、休息の眠りであるとイエス様は語られました。マルコ福音書の5章で、イエス様のところに、12歳になった娘が、死にかかっているので助けてほしいという父親がやってきました。しかし、父親の家に着く途中で娘はなくなったのです。途方に暮れる父親に、「恐れることはない。ただ信じなさい。」と、イエス様は言葉をかけました。そして、嘆き悲しむ人々に、「子どもは死んだのではない。眠っているだけである。」と言われました。そして娘の手をとって、「少女よ、さあ、起きなさい。」と言われて、娘を起き上がらせたのです。
 イエス・キリストを信じる者にとって、死は眠りですから、キリストの声を聞いて起きるのです。

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