わたしのもとに来て飲みなさい

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき

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アップロード日
2021.03.25
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 7章37節
放送日
2021.03.25

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はヨハネの福音書7章37節から「わたしのもとに来て飲みなさい」と題してメッセージをお伝えいたします。
 「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。』」
 ヨハネの福音書7章2節では、「仮庵の祭りが近づいていた。」とあります。仮庵の祭りは、イスラエルの三大祭りのひとつで、収穫感謝祭という性質を持っていました。また、イスラエルの人々にとっては、かつてエジプトの奴隷から解放され、約束の地カナンに戻ってきた時の、神のさまざまな配慮を思い起こす特別な祭りでもありました。ヨハネは、その祭りで起こったイエスにまつわるエピソードを取り上げています。
 その祭りも終盤に入った時のこと、イエスは群衆の中で大声を発せられました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
 仮庵の祭りは基本的に、エジプトからカナンへの渇いた荒野の旅路で、神が水を与えて下さったことを思い起こすと同時に、豊かな収穫のための雨乞いを求める意味もありましたから、祭りの終盤では、水の儀式でわき返り、すべてを備えられる神への期待で高まるのです。ですから、そこで「だれでも渇いているなら」とキリストの声が響き渡ることは、人々の耳目を集め引き付けた、実に衝撃的な出来事でありました。
 旧約聖書のヨブ記には、人は金や銀などの鉱脈を見つける力がありながら、人生の問題を解決する知恵を見つけることができないと語られています。しかしイエスはここで、ご自身こそ救いと助けの知恵があると示していると言えるでしょう。
 人生において、何を羅針盤として生きているのか、何を支えとして生きているのか、改めて考えさせられるところですね。
 では今日も、良き一日であるように祈ります。

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