ルカの福音書58-洗礼はこっそり受けられないの?

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2021.03.19
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 3章
放送日
2021.03.19

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んで、ルカ福音書3章にまで来ました。イエス様がバプテスマを受けられた時のことが記されています。
 ある時、中学生に質問をしました。「洗礼を受けることについてどう思ってるの?」すると、「たくさんの人の前でイエス様を信じたことの証をするのが恥ずかしい」とハッキリと言われました。「個人的に、こっそり受けることはできないもんですか。」と聞かれたこともあります。しかし洗礼は、こっそり受けることはできないのです。牧師と数人の方々に囲まれて、病床洗礼を授けるということはありますが、それもこっそり行うものではなく、教会の交わりの中で受けるのです。
 その中学生にこんな説明をしました。「もし〇〇ちゃんに恋人ができて、俺たちが付き合っていることは誰にも言うなよというような彼氏だったらどう思う?」「いやだ!」「そうでしょう。『え?私と付き合ってることが恥ずかしいの?もしかしてほかの誰かと付き合う可能性を残そうとしているの?』と思わせているんじゃないのと思うんじゃない。」「うん」「神様だって同じだよ。洗礼を受けないっていうのは、二股かけようとしているんじゃないかと思われちゃうよ。」「え?それは嫌だ!」「〇〇ちゃんは他の神様を信じる可能性を残そうと思っているの。」「うん思ってない。信じているのはイエス様だけで行く予定?」「うん」「じゃー洗礼を受けなよ。」「わかった。」よかったなぁと思ってほっとしました。
 私たちは、イエス様を信じる時に、信仰は公に明らかにするのです。洗礼は、こっそり受けるものではなく、証もこっそりするものではありません。洗礼はある意味、たかが儀式ではないかと思われるかもしれません。しかし、されど儀式です。この洗礼を受けたという決心が、あなたの人生をこれからも守ってくれるのです。洗礼は、結婚指輪のようなものです。結婚を確かにするのは、婚姻届というたかが紙切れ一枚の結婚です。しかし指輪は、日々、自分の人生が誰かと生きるものとなったことを思い起こさせてくれます。指輪は、結婚したあの約束を思い起こさせてくれるのです。
 ああ、自分は洗礼を受けたのだと、自分の信仰の不確かさから守られて生きることができます。人前で、イエス様との関係を明らかにしていく。自分の側では、この信仰を続けていくことに自信はないかもしれない。しかし、この信仰の決心を持ち運んで下さる神様におゆだねして、私たちは生きていくのです。指輪をつけながら生きていく。あなたも洗礼を受けて、信仰の確かさを身に付けてみませんか。

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