ルカの福音書56-バプテスマによって変われる

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき

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アップロード日
2021.03.17
カテゴリ
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 3章
放送日
2021.03.17

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。イエス様がバプテスマを受けられた時のことが、ルカ福音書3章に記されています。
 洗礼にはどんな意味があるのでしょうか。洗礼は、まず古い人が死に、新しい人が生まれることのあらわれだと聖書には記されています。洗礼を意味するバプテスマとは、「沈める」「浸す」という意味があります。古い自分が水に沈んで、そして水から上がってくる時に、新しい自分が生まれてくることをあらわしているのです。
 ある人は、洗礼の意味をこう語りました。「洗礼は私たちの古い人間が、日ごとの悔い改めによっておぼれさせられ、すべての罪と悪い欲に死んで、逆に日ごとにそこから出て、新しい人として復活し、神の前の義ときよさのうちに、永遠に生きるようになるということなんだ」と言ったのです。洗礼で頭の上へと注ぎかけられたあの水の中で、私たちはおぼれ死ぬということなのです。
 私たちは人生を、どこかでやり直したいという気持ちになることがあります。しかし、年を重ねるにつれ、そんなことは無理だと実感し、あきらめの中に身を沈めていきます。所詮、自分なんて変われないのだとあきらめるしかない。しかし、この変われないという諦めが、自分だけではなく、社会を、世界を、悪くしています。うちの家族は変われない。うちの会社も変われない。自分の人生などもう変われない。この国は変われない。しかし、聖書は変われるというのです。
 洗礼は、新しくやり直すことができる。ここからやり直せるという場所を、あなたの人生に持つことができる時となるのです。洗礼は、古い自分が死んだだけではありません。新しい自分が生まれることだと聖書は語ります。しかし、自分の力で新しい人生をやり直すのかというと、これからは、イエス様が一緒にいて下さる。洗礼を受けた自分は、新しくイエス様と共に生きることなのです。
 クリスチャンになるとは、古い自分が死ぬ。しかし、新しい自分がみことばから命を得て、新しくされていく生活のルーティーンが始まっていくのです。イエス様も、バプテスマをお受けになって、そして、祈っておられると天が開け、声が聞こえてきました。神様の声です。「あなたはわたしの愛する子」
 この祈りとみことばの生活があなたを支えて下さるのです。

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