ルカの福音書55-イエスがバプテスマを
- 出演者
- 大嶋重徳
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
もっと詳しく見る
- アップロード日
- 2021.03.16
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ルカの福音書 3章
- 放送日
- 2021.03.16
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。イエス様がバプテスマを受けられた時のことが、ルカ福音書3章には記されています。
教会の喜びの一つには洗礼式があります。私は16歳になった10月の28日、京都の福知山に流れる一級河川の由良川で洗礼を受けました。足を入れたその瞬間から、その冷たさにやめようかなと思うぐらい冷え切った川の温度でしたが、川の中で凍えるように立っておられる牧師を見て、早く行かなきゃと思ったのを覚えています。
その後、牧師と二人でお風呂に入れてもらったことも良い思い出です。さらに父親に、洗礼を授けたのも同じく由良川でした。わが家が大きな喜びに包まれた瞬間でした。よく「洗礼を受けないといけないのですか?神様を信じていればそれで良いのではないですか。」と聞かれます。確かに、洗礼を受けることが救いの根拠ではありません。しかし洗礼を受けることは、イエス様を信じて、イエス様に従う第一歩なのです。
イエス様自ら、洗礼を受けられました。神が本当に人となられたことを表すものでしたし、また悔い改めた共同体の一員となることの表明でもありました。そして何より、十字架にかかり復活なさったイエス様は、弟子たちに「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」とイエス様を信じた者たちには、バプテスマを授けなさいと言われたのです。
この教えを守った使徒たちは、こう説教しました。「罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」そして、この言葉を受け入れた者たちが、その日、三千人バプテスマを受けたのです。洗礼は、イエス様が信じた者は受けなさい。信じた者には授けなさいとおっしゃった命令なのです。
あなたがクリスチャンになり、神様を信じたその時の従順の第一歩は、洗礼を受けるということから始まります。もちろん、ラジオをお聴きの皆さんには、ご家族の反対にあって洗礼をまだ受けられないという人もいるかもしれません。それは、その人が救われていないということではありません。しかし、いつまでも受けなくて良いということではないのです。いつの日か、あなたが喜びの洗礼式を受ける日が来ることを心からお祈りしています。
教会の喜びの一つには洗礼式があります。私は16歳になった10月の28日、京都の福知山に流れる一級河川の由良川で洗礼を受けました。足を入れたその瞬間から、その冷たさにやめようかなと思うぐらい冷え切った川の温度でしたが、川の中で凍えるように立っておられる牧師を見て、早く行かなきゃと思ったのを覚えています。
その後、牧師と二人でお風呂に入れてもらったことも良い思い出です。さらに父親に、洗礼を授けたのも同じく由良川でした。わが家が大きな喜びに包まれた瞬間でした。よく「洗礼を受けないといけないのですか?神様を信じていればそれで良いのではないですか。」と聞かれます。確かに、洗礼を受けることが救いの根拠ではありません。しかし洗礼を受けることは、イエス様を信じて、イエス様に従う第一歩なのです。
イエス様自ら、洗礼を受けられました。神が本当に人となられたことを表すものでしたし、また悔い改めた共同体の一員となることの表明でもありました。そして何より、十字架にかかり復活なさったイエス様は、弟子たちに「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」とイエス様を信じた者たちには、バプテスマを授けなさいと言われたのです。
この教えを守った使徒たちは、こう説教しました。「罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」そして、この言葉を受け入れた者たちが、その日、三千人バプテスマを受けたのです。洗礼は、イエス様が信じた者は受けなさい。信じた者には授けなさいとおっしゃった命令なのです。
あなたがクリスチャンになり、神様を信じたその時の従順の第一歩は、洗礼を受けるということから始まります。もちろん、ラジオをお聴きの皆さんには、ご家族の反対にあって洗礼をまだ受けられないという人もいるかもしれません。それは、その人が救われていないということではありません。しかし、いつまでも受けなくて良いということではないのです。いつの日か、あなたが喜びの洗礼式を受ける日が来ることを心からお祈りしています。
コメント
番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。