神のものは神に返しなさい
- 出演者
- 岩井基雄
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2021.03.12
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] マルコの福音書 12章
- 放送日
- 2021.03.12
「世の光」の時間です。お変わりありませんか、岩井基雄です。マルコの福音書から学びましょう。今日は12章から「地上における責任」についてです。
キリストの時代、イスラエルはローマ帝国の支配下にありました。それゆえ、神の民にもローマに納めるべき税金があったのです。それは支配されているという現実を突きつけられる屈辱的なことでした。神の民は、ユダヤの神殿税は喜んで納めても、ローマには税金を納めたくなかったのです。しかし、拒絶することはローマへの反逆でした。
キリストを憎み、何とかして陥れようとしていたパリサイ人たちは、このことを利用して質問しました。「ローマ皇帝カエサルに税金を納めることは、律法にかなっているかどうか、また納めるべきかどうか」と質問しました。「納めるべきだ」と言えば、民の心に逆らい、キリストが「納めなくてもよい」と言えば、ローマへの反逆となるからです。
しかし、すべてを見抜いていたキリストは、納めるデナリ銀貨を持ってこさせて、「これは、だれの肖像と銘か」とたずねました。そして、「皇帝カエサルのだ」と答えた彼らに、キリストはこう命じました。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」と。
カエサルの肖像と名前の刻まれたカエサルのものは、皇帝に返すべきだとキリストは語ります。しかし、次に語られた神のものとは、神の形に造られた人間を示していました。ローマ皇帝も含め、すべての人が神のかたちに創造されたゆえに、神に対する責任、神に従う責任があるということを語られたのです。その答えに人々は驚きました。ことば尻をつかむことなどできるはずもなく、キリストの語られた神の主権と権威の尊さを、改めて思わされたのです。
私たちもまた、神の形に造られた人間です。それは、この地上における責任とともに、神への責任があることをも示しています。そして、神に向かうものとして造られた私たちは、神の愛の権威に従い、自己中心を後にして、神様を中心にした人生を歩む時に、豊かな祝福と喜びがあるのです。神の愛を心いっぱい受け取り、その愛に答え、この地上においても、神を愛し、また人を愛する者として歩んでいきませんか。神はあなたを用いて下さいます。
キリストの時代、イスラエルはローマ帝国の支配下にありました。それゆえ、神の民にもローマに納めるべき税金があったのです。それは支配されているという現実を突きつけられる屈辱的なことでした。神の民は、ユダヤの神殿税は喜んで納めても、ローマには税金を納めたくなかったのです。しかし、拒絶することはローマへの反逆でした。
キリストを憎み、何とかして陥れようとしていたパリサイ人たちは、このことを利用して質問しました。「ローマ皇帝カエサルに税金を納めることは、律法にかなっているかどうか、また納めるべきかどうか」と質問しました。「納めるべきだ」と言えば、民の心に逆らい、キリストが「納めなくてもよい」と言えば、ローマへの反逆となるからです。
しかし、すべてを見抜いていたキリストは、納めるデナリ銀貨を持ってこさせて、「これは、だれの肖像と銘か」とたずねました。そして、「皇帝カエサルのだ」と答えた彼らに、キリストはこう命じました。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」と。
カエサルの肖像と名前の刻まれたカエサルのものは、皇帝に返すべきだとキリストは語ります。しかし、次に語られた神のものとは、神の形に造られた人間を示していました。ローマ皇帝も含め、すべての人が神のかたちに創造されたゆえに、神に対する責任、神に従う責任があるということを語られたのです。その答えに人々は驚きました。ことば尻をつかむことなどできるはずもなく、キリストの語られた神の主権と権威の尊さを、改めて思わされたのです。
私たちもまた、神の形に造られた人間です。それは、この地上における責任とともに、神への責任があることをも示しています。そして、神に向かうものとして造られた私たちは、神の愛の権威に従い、自己中心を後にして、神様を中心にした人生を歩む時に、豊かな祝福と喜びがあるのです。神の愛を心いっぱい受け取り、その愛に答え、この地上においても、神を愛し、また人を愛する者として歩んでいきませんか。神はあなたを用いて下さいます。
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