逃げてしまった弟子たち

出演者
山本陽一郎
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき

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アップロード日
2021.03.06
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 22章
放送日
2021.03.06

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。山本陽一郎です。イエスの十二人弟子で、一番有名なのは誰でしょうか。もしかすると、イスカリオテのユダかもしれませんね。彼はイエスを裏切り、銀貨三十枚で売り渡しました。そしてイエスは、十字架刑に処せられて殺されます。
 このユダをめぐっては、学者の間でもさまざまな解釈があります。ただ背景の一つとして、イエスに対する政治的、軍事的な革命運動の期待があったことはあげられるでしょう。これはユダだけでなく、当時、多くのユダヤ人たちが抱いていたものでした。ローマ帝国に支配されていた彼らにとって、待ち望んできたメシアがローマを打ち破り、新しい王国を築いてくれたらという願望は強かったのです。
 しかし、イエスの語る神の国は、どうもそういうものとは違うと分かり、期待が失望に変わった人もいました。でもイエスのもとを離れた弟子は、ユダだけではありません。確かに、自分からイエスを売りにいったユダと他の弟子たちとは違います。けれども、みんなもイエスを見捨てたのです。
 最後の晩餐で、イエスが弟子の裏切りを予告した時、弟子たちは悲しんで、口々に、「まさか私ではないでしょう」とたずねました。ペテロは、「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と豪語しました。しかし、ゲッセマネの園でイエスが逮捕された夜、実際はどうだったのか。彼らは皆、イエスを一人置いて逃げていきました。勇ましいことばを述べていたペテロも、人を恐れ、舌の根の乾かないうちに、「イエスを知らない」と三度も言ってしまいました。
 イエスを見捨てて逃げてしまった弟子たち。聖書は彼らを通して、身勝手で恐れやすい私たち人間の姿を描き出しています。けれども、イエスはそんな弟子たちを、そして私たちを愛して下さいました。私たちの弱さも、身勝手さも、罪深さも、すべてご存じで、そんな者たちを救うために、十字架にかかり死んで復活して下さったのです。たとい私たちが、その手を離してしまうことがあっても、イエスの愛は変わりません。イエスは、今日も、あなたを愛して、あなたを待っておられます。

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