ルカの福音書52-向きを変えて

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2021.02.26
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 3章
放送日
2021.02.26

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。
 荒野で叫ぶ者の声と呼ばれるヨハネは、人々に神に立ち返るようにと悔い改めのメッセージを伝えた人でした。彼の語る悔い改めの内容は、神の怒りでした。神様が怒っておられる。罪に対する神の怒り、神様の悲しみ、神の厳しさをヨハネは知っていたのです。ヨハネは緊張感を感じていたでしょう。ヨハネは厳しい言葉で語ります。「まむしの子孫たち。だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結びなさい。」
 祭司の家庭に生まれて、聖書の言葉もよく知るヨハネでした。しかし、そこには形だけの信仰になっていたにも関わらず、自分の血筋、自分の生き方、自分の信仰に、高いプライドだけを持っているイスラエルの人々がいたのです。 あなたは、悔い改めの実を結んでいないと。
 悔い改めとはメタノイアという言葉、方向転換する、立ち返るという意味の言葉です。向きを変えて神に立ち返った生活をするということです。悔い改めと後悔は違います。「あぁ、私はもうだめだ」という落ち込みを、悔い改めとは言いません。
 時々、こういうメッセージを終えて、今日は非常にグサっときましたと言われることがあります。しかしグサっときたということに満足をしているだけということもあると思うのですね。つまり、グサっときた自分はまだ、霊的に敏感な方だと思っている。生き方は何も変わっていない。礼拝に来てグサっときたという体験を楽しんでいるだけ。グサっとくるだけで、一向に向きを変えて歩んでいないということが、クリスチャンにもあるのです。悔い改め風の空気感を演じているだけということはないでしょうか。
 しかし悔い改めとは、グサっときた後に生き方が変わるのです。キリストが十字架にかかられたのは、私たちが後悔だけをして、グサっとくるという心の動きをもたらすためだけのものではありません。ここで記されている罪とは、罪をひとくくりにした言葉ではありません。一つひとつの罪です。あなたの一つひとつの悔い改めが求められているのです。そして罪が、具体的な一つひとつであるのと同様に、悔い改めも一つひとつ具体的なものになるべきです。
 今日、あなたが、神様から語りかけられている具体的な罪とは一体なんでしょうか。今日、私たちはうわべではなく、形式的ではなく、具体的に罪を悔い改めるのです。あなたが向きを変えるべき罪はなんでしょうか。

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