ルカの福音書50-人生の荒野

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2021.02.24
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 3章
放送日
2021.02.24

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。
 荒野で叫ぶ者の声と呼ばれるヨハネという人が出てきます。彼は荒野に住んでおり、人々に神に立ち返るようにと悔い改めのメッセージを伝えた人でした。悔い改めを迫る説教を語るということは、ヨハネもまた、自分が悔い改めることなく語ることなどはできなかったでしょう。悔い改めのない人の語る悔い改めなど、どうして人々の心に届くでしょうか。
 ヨハネの周りには、彼からバプテスマを受けようとして出てきた群衆が集まってきていました。その中には取税人も兵士もいたとあります。もしヨハネの悔い改めを迫る説教が、ただ単に、「死んだ後には永遠に燃える裁きの日に投げ込まれるぞ」という脅しの説教であったら、群衆の心が揺さぶられたでしょうか。兵士などは反発したでしょう。しかしヨハネの語る悔い改めを迫るメッセージは、人々の心に響いたのです。それは、ヨハネ自身が悔い改めの中に生きていたことにほかなりません。
 私たちもまた今日、人生の荒野と呼べる場所を持っています。荒れすさんだ日常です。人には見せることのない、人からは見られることなどないと思っている隠れた荒野です。悔い改めることのない荒野。神様の言葉など届かないと思っている荒野。やめることのできない罪。自己中心で優しくない、愛のない荒野。あたりまえのことができない人生の荒野。
 ヨハネは、その人々の荒野が見えていました。なぜならヨハネもまた、そのような荒野を歩いたことがあるからでしょう。しかし荒野でこそ、ヨハネは神と出会いました。荒野でこそ、神の言葉がヨハネにくだったのです。そして荒野で彼は、神の救いを見たのです。
 今日、私たちにも、このイエス・キリストのもとへと戻ってくるように、働きかけてくれた人がいるのではないかと思います。その人の生き方を見て、なぜこの人は、こんな生き方ができるのだろうかと関心を持ってしまうような人です。神様は私たちのもとへ、自分の心をまっすぐに神様に向くようにととのえてくれる人を送って下さるのです。その人もまた必ず、荒野を通ってきた人です。その人の語る生き方こそ、私たちの心に届きます。このラジオ番組「世の光」も、また、そんな思いで作られています。

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