ルカの福音書49-荒野のヨハネ

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2021.02.23
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 3章
放送日
2021.02.23

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 ルカ福音書には、荒野で叫ぶ者の声と呼ばれるヨハネいう人が出てきます。ヨハネは荒野に住んでいました。天使がヨハネの父親ザカリヤに現れ、自分の人生は、預言者として歩むということが決まっている人でした。おそらく、生まれた時から「おまえの誕生の時はね」と言われ、期待された人生でした。
 この当時、祭司の子どもは、当然、祭司になることが当たり前であった人生の中で、ヨハネは祭司になることを拒み、荒野に出ることになるまでの彼の人生には、様々な葛藤があったことだろうと思います。
 両親がクリスチャンの家に生まれた子どもたちの多くは、あたりまえのようにクリスチャンになることに対して反発を持つことがあります。私もまたそうでした。ヨハネも、なぜ自分の家は祭司の家なんだろうか。自分はこのまま祭司になるのだろうか。よその家に生まれたら、こんな人生は歩まなくても良いのではないか。
 ヨハネのことを、紀元一世紀ごろのヨセフスという歴史家が、歴史の書物に記しています。ヨハネは、エッセネ派というグループに属していたと言われています。このグループは、考古学的な証拠が見つかっておらず、伝説の存在とされていました。しかし、二十世紀の半ばに、死海沿岸で聖書の写本が見つかり、クムラン教団というグループが、そこにいたことがわかりました。彼らは、エルサレムで行われている宗教的儀式が、形式だけになっており、心も内容も伴っていないと荒野に出ていって祈りつつ、聖書を記しつつ、メシアの到来を待っていました。まさにエッセネ派というグループそのものであったわけです。
 祭司の家に生まれ、そのままならば当然、祭司になるはずの規定路線にあったヨハネにとって、その形式的な信仰に生きることなどうんざりしたのでしょう。父の信仰、職業である祭司の仕事を投げ出して、彼は荒野へと出て行きました。そして、エッセネ派の人たちと出会ったのです。その荒野で、彼は悔い改めたのです。そして人々に、形式的な信仰から、悔い改めを伴う信仰を伝え、メシアの到来を預言する人生へと踏み出したのです。
 皆さんの人生もどうでしょうか。もし信仰が形式的なものであるならば、その信仰を受け継ぎたいとは思わないでしょう。しかし、神様があなたに与えようとしているのは、いきいきとした信仰です。そして、あなたに、そのような命ある信仰を伝えたいと願う番組が「世の光」です。このいきいきとした信仰の歩みを歩み出していただきたいと思います。

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