人々の罵倒

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2021.02.13
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マルコの福音書 15章
[旧約聖書] 詩篇 22篇
放送日
2021.02.13

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
 イエス様は、ゴルゴタ「されこうべ」と名付けられた場所で十字架につけられました。聖書は、イエス様の痛々しい苦しみの姿を事細かく書くことよりも、イエス様こそ、旧約聖書で預言された正真正銘の救い主であることを示すことに、重点を置いて書かれています。
 兵士たちが、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとした、そのことも、兵士たちがくじを引いて、イエスの着物を分けたということも、旧約聖書に記された救い主の預言の成就となる出来事でした。またイエス様に対して、人々は容赦なく罵倒しました。道を行く人々は頭を振りながら「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」とののしりました。またユダヤの宗教指導者たちは「他人は救ったが、自分は救えない。十字架から降りて来い。われわれは、それを見たら信じるから。」とイエス様をあざけりました。しかし、こうした人々の罵倒さえも、旧約聖書で記されていることの成就であったと聖書は教えるのです。
 詩篇の22篇には「私を見る者はみな私をあざけります。口をとがらせ頭を振ります。『主に身を任せよ。助け出してもらえばよい。主に救い出してもらえ。彼のお気に入りなのだから。』」? このように書かれている言葉の通りのことが起こったわけです。イエス様は神の本質を持っておられる方ですから、十字架から降りて、ご自分を救うこともできました。天の大軍団を招集して、敵対する人々を蹴散らすこともおできになりました。しかし、そうなさいませんでした。なぜでしょうか。イエス様が、私たちの罪をすべて背負い、十字架にかかり、罪のもたらす罰を、呪いを、すべて身代わりに引き受けて下さる。そのことこそが神様のご計画だったからです。
 イエス様は、人の救いの成就のために十字架への道に従順に従われました。それは、私たち一人ひとりを愛しておられるからです。もしイエス様が、ご自分を救うために十字架から降りてしまったら、私たちには救いがありません。イエス様を十字架上にとどめたのは、両手両足を貫いた太い釘の力ではなく、私たちを救わずにはおられないイエス様の愛の力だったのです。

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