真の権威はと?こに

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2021.01.29
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マルコの福音書 11章28節
放送日
2021.01.29

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 「世の光」の時間です。お元気ですか、岩井基雄です。金曜日の今日は、昨日に引き続きマルコの福音書から学びましょう。今日は「真の権威はと?こに」と題して学びましょう。
 私たちは心のどこかで、人への影響力を求め、権威や権力を求めてしまいますね。キリストの時代、律法学者やパリサイ人と呼ばれた人々は、旧約聖書の律法を自分たちの権威として、人々を指導し、従わせていましたが、彼らは傲慢でした。神への礼拝の場所が、商売に利用されていたことに憤りを覚えたキリストが、商売人や両替人たちを追い出した時、律法学者やパリサイ人たちは、ユダヤの長老たちと一緒に、キリストのもとに来てこう尋ねたのです。
 「何の権威によって、これらのことをしているのですか。だれがあなたに、これらのことをする権威を授けたのですか。」新約聖書 マルコの福音書11章28節
 彼らの傲慢さや、ご自身を陥れようとする心を見抜いたキリストは、逆に彼らに質問しました。「ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、それとも人から出たのですか」と。それは、彼らが答えにくい質問でした。人々に、バプテスマ、すなわち、神への悔い改めの洗礼を授けていたバプテストのヨハネのことを、天から来たと言えば、なぜ、彼を信じなかったのかと問われ、もし、人から出たと言えば、ヨハネこそ、神からの預言者と信じる人々が怒り、暴動が起きかねなかったからです。
 計算高い彼らは、キリストに、「わかりません」としか答えられませんでした。それは彼らが、本当の真理を求めてはいなかったことを露呈するものでした。彼らは、自分たちの権利を握りしめ、また人を恐れるあまり、キリストの真の権威に心を留めず、罪の悔い改めもしなかったからです。
 私たちの心にも権力や影響力を求め、自己中心で傲慢な心がどこかにあります。キリストは、私たちの心にも光を当てます。すべてを創造された神の権威、神の御子キリストの愛の権威を正しく認め、正しく神を恐れて、その愛と恵みに生かされたいと心から願います。私たちの人生の真の権威は、神と神の御子キリストの愛と恵みにあるからです。その愛と恵みに生かされる歩みを、共に歩ませていただきませんか。

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