ルカの福音書-46
- 出演者
- 大嶋重徳
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2021.01.15
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ルカの福音書 2章
- 放送日
- 2021.01.15
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。
十二歳のイエス様が、エルサレムの神殿にとどまって、律法の専門家に質問をしている箇所が出てきます。しかし一方で、自分たちからはぐれてしまったことを心配する両親のヨセフとマリアは、どれだけ心配をしたでしょうか。心配した分、怒りがこみ上げてきたのです。母マリアは、「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを探し回っていたのです。」するとイエス様がおっしゃいました。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
マリアはイエス様を見失った時、かーっとなりました。そしてどのような経緯でこの子が産まれたかを忘れてしまっていたのです。この子どもは、神様から預かった子どもなのだという事実です。自分の思いを握りしめ、自分の思いで子どもの人生を推し量ったのです。
しかしイエス様は、そういうわけにはいかなかったのです。どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしの人生は、父なる神様のものです。あなたたち親のものではありません。確かにイエス様はヨセフの子としてマリアを通して誕生されたのですが、あなたの人生の思いどおりになるわけにはいかないと、なぜなら、わたしの人生は神のものであり、わたしの父の家とは、本来的に父なる神の家なのだと言われたのです。
私は子どもが生まれた時に、あるクリスチャンの先輩から「命を預かったのですね」という手紙をもらいました。その時にはっとしたんですね。「あー、この子の人生は、神様のものなんだ。いつか神様にお返ししないといけないんだ。その日にいたるまで、誠実に、忠実に子育てをするんだ」ということを教わったのです。
今日ここで私たちが教えられるべきことは、子どもの人生を握りしめてはいけないということでしょう。私たちは、こんなに愛しているんだからこそ、自分好みの子どもに育ってくれるはずだという思いをもちやすいものです。しかし、神に愛され、人に愛される。それは神の家にいる子どもとして育てていくということです。偏差値の高い高校に入れるために、私たちは子どもを育てているのではありません。将来が安定した仕事に就くために、子どもを育てているのではありません。神と人に愛される人生をひたすら願って、子どもたちを育てていくのです。
十二歳のイエス様が、エルサレムの神殿にとどまって、律法の専門家に質問をしている箇所が出てきます。しかし一方で、自分たちからはぐれてしまったことを心配する両親のヨセフとマリアは、どれだけ心配をしたでしょうか。心配した分、怒りがこみ上げてきたのです。母マリアは、「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを探し回っていたのです。」するとイエス様がおっしゃいました。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
マリアはイエス様を見失った時、かーっとなりました。そしてどのような経緯でこの子が産まれたかを忘れてしまっていたのです。この子どもは、神様から預かった子どもなのだという事実です。自分の思いを握りしめ、自分の思いで子どもの人生を推し量ったのです。
しかしイエス様は、そういうわけにはいかなかったのです。どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしの人生は、父なる神様のものです。あなたたち親のものではありません。確かにイエス様はヨセフの子としてマリアを通して誕生されたのですが、あなたの人生の思いどおりになるわけにはいかないと、なぜなら、わたしの人生は神のものであり、わたしの父の家とは、本来的に父なる神の家なのだと言われたのです。
私は子どもが生まれた時に、あるクリスチャンの先輩から「命を預かったのですね」という手紙をもらいました。その時にはっとしたんですね。「あー、この子の人生は、神様のものなんだ。いつか神様にお返ししないといけないんだ。その日にいたるまで、誠実に、忠実に子育てをするんだ」ということを教わったのです。
今日ここで私たちが教えられるべきことは、子どもの人生を握りしめてはいけないということでしょう。私たちは、こんなに愛しているんだからこそ、自分好みの子どもに育ってくれるはずだという思いをもちやすいものです。しかし、神に愛され、人に愛される。それは神の家にいる子どもとして育てていくということです。偏差値の高い高校に入れるために、私たちは子どもを育てているのではありません。将来が安定した仕事に就くために、子どもを育てているのではありません。神と人に愛される人生をひたすら願って、子どもたちを育てていくのです。
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