おおきな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 人を許すことが出来ないとき

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アップロード日
2020.12.04
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] ヨナ書 4章11節
放送日
2020.12.04

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 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はヨナ書 4章11節から、「おおきな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか」と題して、メッセージをお伝えいたします。
 「ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」
 昨日の続き、ヨナ書、最後の章を見ていきます。ヨナの宣教により、ニネベの人々は悔い改め、結局、ニネベは滅ぼされずにすみました。神は災いを思い直されたのです。そこでヨナは、神とともによかったねと喜ぶのかと思いきや、そうではありませんでした。ヨナの心は複雑だったのです。というのも、悔い改めによって滅びを免れたアッシリアは、いずれイスラエルの脅威となることは大いに予測されることでした。また、警告したとおりのことが起こらないというのは、なんとも面子に関わることだったのかもしれませんね。
 ともあれヨナは、神に抗議し、ニネベがどうなるのか、様子をうかがい始めました。折しも、さんさんと照りつけるパレスチナの太陽に、いささか不愉快な思いをつのらせていると、そこに神が、唐胡麻をそなえて日陰を作られ、ヨナの不機嫌を直そうとしたとあります。ヨナも、うっかり神の手にのっかって、「おっ!これから何か起こるのか」と期待をつのらせたようですね。
 しかし、何も起こらずに一日が終わり、翌日、その唐胡麻も枯れてしまいました。ヨナの怒りが絶頂に達した時に、神が大切なことを語られます。人間というものは、自分で労さず、育てもしないものが失われるとそれを惜しむ。しかし神は、自分で労し育てたものを惜しんでいるのだというのです。
 人は単純に、損得の世界で生きているものです。しかし神は、愛情の世界で生きているのです。ですから、1章のメッセージに戻りますが、神は、誰一人滅びることを望まれないし、悔い改めるものをすべて受け入れ救われようとするのです。神は愛なのですね。
 自己中心な人間は、なかなかこのような神の愛に到達できません。しかし、このような神の愛こそ、人間の社会には必要とされているのです。では、よき一日を祈ります。

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