もしかすると、神が思い直して
- 出演者
- 福井誠
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 人を許すことが出来ないとき
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- アップロード日
- 2020.12.03
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] ヨナ書 3章9節
- 放送日
- 2020.12.03
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はヨナ書 3章9節から、「もしかすると、神が思い直して」と題してメッセージをお伝えいたします。
「もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りを収められ、私たちは滅びないですむかもしれない。」
昨日の続き、ヨナ書3章に入ります。魚に吐き出されたヨナは、神様のすすめに従って、素直に敵国アッシリアの首都ニネベへ出て行きました。ヨナが吐き出されたタルシシュの海岸からニネベは、おおよそ800キロです。当時の人たちの足では約一カ月かかる道のりでした。ヨナの体は、魚の胃酸にとかされていたはずで、この期間に皮膚の回復が進んだとしても、その外観は変わり果てた姿になっていたことでしょう。しかし、その姿そのものが、神の言葉の真実さを訴えることになったのではないでしょうか。
ヨナは、首都ニネベの広い土地をくまなく歩き回り、神がこの町を滅ぼそうとしてること、神を信じて悔い改めるべきことを語ります。すると町中の人々が、次々と悔いあらためて神を信じるのです。王様すら、もしかすると神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめられ、私たちは滅びないかもしれないと語り、王服を脱いで、粗布を着て、灰の上に座って、悔い改めの心を表明したのです。
これによって神は、ニネベにくだそうと考えていた禍を思い直されました。悔い改めたヨナを救い、悔い改めたニネベを救う。神はどれほど怒ったとしても、悔い改めるなら、思い直してあわれみ許して下さるというわけですね。
新約聖書の使徒ペテロは、「神は、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる。」と語りました。パウロも、「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」と語っています。聖書は、清く正しい人生を生きることを勧めるよりも、まず悔い改めることを進めています。そして悔い改める者に、神はあわれみ深い方であることを教えているのです。では、良き一日を祈ります。
「もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りを収められ、私たちは滅びないですむかもしれない。」
昨日の続き、ヨナ書3章に入ります。魚に吐き出されたヨナは、神様のすすめに従って、素直に敵国アッシリアの首都ニネベへ出て行きました。ヨナが吐き出されたタルシシュの海岸からニネベは、おおよそ800キロです。当時の人たちの足では約一カ月かかる道のりでした。ヨナの体は、魚の胃酸にとかされていたはずで、この期間に皮膚の回復が進んだとしても、その外観は変わり果てた姿になっていたことでしょう。しかし、その姿そのものが、神の言葉の真実さを訴えることになったのではないでしょうか。
ヨナは、首都ニネベの広い土地をくまなく歩き回り、神がこの町を滅ぼそうとしてること、神を信じて悔い改めるべきことを語ります。すると町中の人々が、次々と悔いあらためて神を信じるのです。王様すら、もしかすると神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめられ、私たちは滅びないかもしれないと語り、王服を脱いで、粗布を着て、灰の上に座って、悔い改めの心を表明したのです。
これによって神は、ニネベにくだそうと考えていた禍を思い直されました。悔い改めたヨナを救い、悔い改めたニネベを救う。神はどれほど怒ったとしても、悔い改めるなら、思い直してあわれみ許して下さるというわけですね。
新約聖書の使徒ペテロは、「神は、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる。」と語りました。パウロも、「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」と語っています。聖書は、清く正しい人生を生きることを勧めるよりも、まず悔い改めることを進めています。そして悔い改める者に、神はあわれみ深い方であることを教えているのです。では、良き一日を祈ります。
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