私は主を思い出しました

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 人を許すことが出来ないとき

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アップロード日
2020.12.02
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] ヨナ書 2章7節
放送日
2020.12.02

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 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は、ヨナ書 2章7節から「私は主を思い出しました」と題してメッセージをお伝えいたします。
 「私のたましいが私のうちで衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。」
 昨日は、神に逆らって逃げ出したヨナが、神にとらえられて、海に放り出されたお話しで終りました。今日はその続きですが、ヨナは大きな魚に飲み込まれて、三日三晩その魚のおなかの中にいたといいます。いったいどんな状況だったのだろうと思うところですが、1891年、マッコウクジに飲み込まれた船員の記録が伝えられています。それによると、彼は意識不明の状態でクジラの切り裂かれた腹の中から発見されました。クジラの胃酸で、全身の皮膚が溶かされて、ただれていて、助けられて三日目に意識を回復したというのです。このような事件は、その後も報告されていて、恐ろしいことですが、決してありえない話ではなかったようですね。
 実際、ヨナ書の2章は、このおなかの中で、ヨナがどれほど苦しんだかが、詩文形式で語られています。魚のおなかの中で、水が取り囲み、海藻が頭に絡みつく、喉まで水が入ってきて、このままでは死んでしまうと窮地に陥った状況で、彼は結局、背を向けた神に助けを求めたのでした。
 すると1章で学んだように、やはり神は愛ですね。神は、自分に背を向けたヨナをあわれんで、ヨナを救ってくださったのです。神は魚に命じて、ヨナを陸地に吐き出させて下さったといいます。
 はじめヨナは、敵国アッシリアの人間など、神のさばきによって滅びれば良いと思っていたのでしょうが、この経験を通して、ヨナは、アッシリア人も血の通った同じ人間、滅びて良いはずはないことを学んだと言えます。大事な点ですね。人に対する愛は、同じ人間としての弱さを意識するところに生まれるのです。では、良き一日を祈ります。

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