私は、主を恐れる者です
- 出演者
- 福井誠
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 人を許すことが出来ないとき
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- アップロード日
- 2020.12.01
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] ヨナ書 1章9節
- 放送日
- 2020.12.01
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はヨナ書1章9節から、「私は、主を恐れる者です」と題してメッセージをお伝えいたします。
「ヨナは彼らに言った。『私はヘブル人です。私は、海と陸を造られた天の神、主を恐れる者です。』」
今日からヨナ書に入ります。まず主人公のヨナという人物ですが、彼は古代イスラエルの預言者でした。おおよそ紀元前8世紀ごろ、ヤロブアム二世という王様の時代に活躍した人と考えられています。
その時代、イスラエルは勢いを増し、領土を拡大し、繁栄を極めていました。しかし同時に、その北側にはアッシリアという大国が勢いづいていたのです。そして、いつイスラエルに攻め込んでくるのかと脅威の存在になっていました。神はそのアッシリアに、神の言葉を伝えるようにヨナに命じられます。神がアッシリアの行いに怒りを燃やし、滅ぼされようとしているので、悔い改めるようにと警告させるためでした。
しかしヨナはこれを拒否して、逃げ出してしまいます。イスラエルを愛するヨナにとって、イスラエルの脅威であるアッシリアなど、警告を与えられず、そのまま滅びてしまえば良いと思われたのかもしれませんね。
しかし神の思いは、ヨナと異なっていました。神は、いかなる悪者の滅びをも望んでおられなかったのです。神は、神に背を向け、逃げ出し、命令に従おうとしないヨナを追いかけました。そして船に乗り込んだヨナに、嵐を吹かせ、最終的にヨナは海に放り出されてしまうのです。
ともあれ、この1章のエピソードの要点は、既にお話ししたように、私たちが信ずべき神様は、いかなる悪者の滅びをも望んでおられないことにあります。太陽の光の恵みが、良い人にも悪い人にも平等に注がれるように、神の万人に対する愛に偽りはありません。たとえ悪い人であっても、神は悔い改めと救いの機会を必ず与えて下さるのです。信ずべきは、このように人のいのちを尊ぶ神様だということですね。では、良き一日を祈ります。
「ヨナは彼らに言った。『私はヘブル人です。私は、海と陸を造られた天の神、主を恐れる者です。』」
今日からヨナ書に入ります。まず主人公のヨナという人物ですが、彼は古代イスラエルの預言者でした。おおよそ紀元前8世紀ごろ、ヤロブアム二世という王様の時代に活躍した人と考えられています。
その時代、イスラエルは勢いを増し、領土を拡大し、繁栄を極めていました。しかし同時に、その北側にはアッシリアという大国が勢いづいていたのです。そして、いつイスラエルに攻め込んでくるのかと脅威の存在になっていました。神はそのアッシリアに、神の言葉を伝えるようにヨナに命じられます。神がアッシリアの行いに怒りを燃やし、滅ぼされようとしているので、悔い改めるようにと警告させるためでした。
しかしヨナはこれを拒否して、逃げ出してしまいます。イスラエルを愛するヨナにとって、イスラエルの脅威であるアッシリアなど、警告を与えられず、そのまま滅びてしまえば良いと思われたのかもしれませんね。
しかし神の思いは、ヨナと異なっていました。神は、いかなる悪者の滅びをも望んでおられなかったのです。神は、神に背を向け、逃げ出し、命令に従おうとしないヨナを追いかけました。そして船に乗り込んだヨナに、嵐を吹かせ、最終的にヨナは海に放り出されてしまうのです。
ともあれ、この1章のエピソードの要点は、既にお話ししたように、私たちが信ずべき神様は、いかなる悪者の滅びをも望んでおられないことにあります。太陽の光の恵みが、良い人にも悪い人にも平等に注がれるように、神の万人に対する愛に偽りはありません。たとえ悪い人であっても、神は悔い改めと救いの機会を必ず与えて下さるのです。信ずべきは、このように人のいのちを尊ぶ神様だということですね。では、良き一日を祈ります。
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