おまえは心の中て?言っている
- 出演者
- 福井誠
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2020.11.30
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] オバデア書 1章3節
- 放送日
- 2020.11.30
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。
今日はオバデヤ書3節から、「おまえは心の中て?言っている」と題してメッセージをお伝えいたします。
「岩の裂け目に住み、高い所を住まいとする者よ。おまえの高慢は、おまえ自身を欺いている。おまえは心の中で言っている。『だれが私を地に引きずり降ろせるのか』と。」
今日はオバデヤ書を開きます。リスナーの皆さんの中には、あまり読んだことがないなと思う方もおられるでしょうね。旧約聖書の中でも最も短い預言書で、書いたオバデヤについてもあまりよくわかっていません。しかし聖書には、何一つ無駄な言葉はなく、私たちに重要な神のメッセージを伝えてくれていますね。
オバデヤが語り伝えるのは、イスラエルの兄妹国と言うべき、エドムという国に対するさばきです。それはイスラエルが、バビロンに攻撃された時に、窮地に陥ったイスラエル人を見捨て、逃げてきた彼らを殺し、どさくさに紛れて財宝を奪う卑劣な行為を働いたためでした。
戦乱の混乱にあっては、誰も気にとめるものはないと考えたのでしょうか。しかし、神は遠くから、彼らの心の悪い思いを見抜いておられました。神は、卑怯者のエドムも見過ごさず、あなたがしたように、あなたにもされるとさばきを宣告されるのです。
何か、神様は恐いなあと、思う方もいるかもしれませんが、逆にこれは、悩みの中にあるものにとっては、慰めの言葉ですね。というのも、私たちの人生には、さまざまなことが起こります。時には、自分の身から出た錆と言うべき失敗を味わうこともあるでしょう。そしてそのような惨めさに、追い討ちをかけるようなことも起こるでしょう。
そんな時に、「神様、いくら私が悪いとしても、これは行き過ぎじゃないですか」と思うこともあるのではないでしょうか。けれども、神様に行き過ぎはありません。もし行き過ぎがあれば、それを正して下さるお方なのです。神様は信頼できるお方です。「過ちては改むるにはばかることなかれ」と言いますように、もし神の前に過ちを覚えることがあるなら、いつでも素直な心で自己を正したいものですね。では、よき一日を祈ります。
今日はオバデヤ書3節から、「おまえは心の中て?言っている」と題してメッセージをお伝えいたします。
「岩の裂け目に住み、高い所を住まいとする者よ。おまえの高慢は、おまえ自身を欺いている。おまえは心の中で言っている。『だれが私を地に引きずり降ろせるのか』と。」
今日はオバデヤ書を開きます。リスナーの皆さんの中には、あまり読んだことがないなと思う方もおられるでしょうね。旧約聖書の中でも最も短い預言書で、書いたオバデヤについてもあまりよくわかっていません。しかし聖書には、何一つ無駄な言葉はなく、私たちに重要な神のメッセージを伝えてくれていますね。
オバデヤが語り伝えるのは、イスラエルの兄妹国と言うべき、エドムという国に対するさばきです。それはイスラエルが、バビロンに攻撃された時に、窮地に陥ったイスラエル人を見捨て、逃げてきた彼らを殺し、どさくさに紛れて財宝を奪う卑劣な行為を働いたためでした。
戦乱の混乱にあっては、誰も気にとめるものはないと考えたのでしょうか。しかし、神は遠くから、彼らの心の悪い思いを見抜いておられました。神は、卑怯者のエドムも見過ごさず、あなたがしたように、あなたにもされるとさばきを宣告されるのです。
何か、神様は恐いなあと、思う方もいるかもしれませんが、逆にこれは、悩みの中にあるものにとっては、慰めの言葉ですね。というのも、私たちの人生には、さまざまなことが起こります。時には、自分の身から出た錆と言うべき失敗を味わうこともあるでしょう。そしてそのような惨めさに、追い討ちをかけるようなことも起こるでしょう。
そんな時に、「神様、いくら私が悪いとしても、これは行き過ぎじゃないですか」と思うこともあるのではないでしょうか。けれども、神様に行き過ぎはありません。もし行き過ぎがあれば、それを正して下さるお方なのです。神様は信頼できるお方です。「過ちては改むるにはばかることなかれ」と言いますように、もし神の前に過ちを覚えることがあるなら、いつでも素直な心で自己を正したいものですね。では、よき一日を祈ります。
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