平和の王の入城と賛美

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.11.26
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マルコの福音書 11章9,10,14節
放送日
2020.11.26

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 世の光の時間です。お変わりありませんか、岩井基雄です。木曜日と金曜日はマルコの福音書から学びましょう。今日は「平和の王の入城と賛美」についてです。
 キリストが地上を歩まれた当時の人々は、旧約聖書が預言する救い主メシアが来ると、神の国イスラエルが再興され、旧約時代のダビデやソロモン王の時のような栄光があらわされると信じていました。ローマ帝国がイスラエルを支配していたキリストの時代、人々はローマを打ち倒す王を待っていたのです。
 しかし、神様の計画はまったく違いました。力強い軍馬ではなく、平和を象徴するろば。しかも、子どものろばに乗った救い主キリストが、人々の身代わりに十字架にかかることによってもたらされる神の国の樹立でした。それこそ、真の神の国だったのですが、人々はまだそれを理解できませんでした。キリストがろばの子に乗り、エルサレムに入城される時、いよいよローマを打ち倒す時が来たのだと思い、彼らはこう叫びました。
 「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。祝福あれ、われらの父ダビデの、来たるべき国に。ホサナ、いと高き所に。」新約聖書 マルコの福音書11章9節、10節
 人々は自分の上着や葉のついた枝を道に敷き、力の限り叫び喜んだのです。しかし、この5日後の金曜日には、多くの人々がキリストを十字架につけろと叫ぶことになるのです。人々の心は、自分たちの願望や欲望に満ち、本当の実を結んではいなかったのです。
 その民の心は、当時のエルサレムの宮の状態に顕著にあらわされていました。神を礼拝する場所が、人々の欲望をあらわす場所になっていたのです。
 さらに、エルサレムを出たキリストの行く手に、民の実状を象徴する木がありました。それは、遠くから見ると葉も多く、勢いがあるように見えても、まったく実を結んでいないイチジクの木でした。キリストはその木に向かって、こう言いました。「『今後いつまでも、だれもおまえの実を食べることがないように。』弟子たちはこれを聞いていた」のです。マルコの福音書11章14節
 私たちの心も、自分の都合によって、神やキリストに対しての態度を変え、本当の悔い改めの実や、真実の実を結ばない者となってはいないでしょうか。神様は私たちの心をご覧になるのです。

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