ルカの福音書36-あなたがそこにいる
- 出演者
- 大嶋重徳
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 不安や恐れを感じているとき
- 孤独や悲しみを覚えるとき
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- アップロード日
- 2020.11.02
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ルカの福音書 2章
- 放送日
- 2020.11.02
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、今週担当する大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。
今週の聖書には、84歳の女預言者アンナという人物が出てきます。現代は、人の価値が生産性で測られる時代です。会社の役に立っているのか、社会の役に立っているのか、家族の役に立っているのか、そこに生産性があるのかということを問われる時代です。迷惑をかけてはいけないと言われて、育てられてきた日本人の私たちです。老いること、寝たきりになることが、まるで何の役に立ってもいないかのように言われるこの空気、これがこの国に漂っているように思います。
では、キリスト教信仰は、何をもって人の価値が図られるのでしょうか。それは、あなたがそこにいてくれることです。神様の前に、安心して留まっていることです。神様は、何よりもそのことを望んでおられる神なのです。
84歳の女預言者アンナは、神殿に毎日進み出て、神様の前に留まり続けました。人生には、いつになっても人間の尊厳があります。老いること、寝たきりになることを切り捨てられる社会があります。勝ち組と負け組という言葉が言われます。しかし、世界に勝ち組なんて一握りの人だけです。その勝ち組も、いつ負け組になるかなど誰もわかりません。長生きすることは、この国では誰かに迷惑をかけることなんでしょうか。そんなことは絶対にありません。教会では、きちんと迷惑をかけて欲しいと思います。子どもたちが大切にされるように、年配の方々も大切にされる教会でなければなりません。
84歳のアンナが、毎日神殿に来ることで、そこにいることで、どれだけの人が慰めを得、励ましを得たことかと思うのです。アンナの明るく喜びに満ち、毎日礼拝にくる姿に、いつでもそこにいてくださる、その存在に、多くの人が相談をし、祈ってもらったのではないかと思います。アンナの休まない神殿での礼拝を献げる姿に、祭司たちもまた、どれほど励まされただろうかと思います。駆け出しの、始まったばかりの、新米祭司のおぼつかない奉仕を暖かく見つめ、その84歳の生涯は、何人もの献身者の人生を見てきたのだと思います。長く年を重ねられた方には、それだけ地上で長く愛された人生を見せて下さるのです。
今日も、高齢の方が大切にされていくこの国であって欲しいと思います。そして、あなたの人生もまた長く、神様の愛が注がれる人生でありますように。あなたの真の存在によって支えられている人がいることを、覚えていただきたいと思います。
今週の聖書には、84歳の女預言者アンナという人物が出てきます。現代は、人の価値が生産性で測られる時代です。会社の役に立っているのか、社会の役に立っているのか、家族の役に立っているのか、そこに生産性があるのかということを問われる時代です。迷惑をかけてはいけないと言われて、育てられてきた日本人の私たちです。老いること、寝たきりになることが、まるで何の役に立ってもいないかのように言われるこの空気、これがこの国に漂っているように思います。
では、キリスト教信仰は、何をもって人の価値が図られるのでしょうか。それは、あなたがそこにいてくれることです。神様の前に、安心して留まっていることです。神様は、何よりもそのことを望んでおられる神なのです。
84歳の女預言者アンナは、神殿に毎日進み出て、神様の前に留まり続けました。人生には、いつになっても人間の尊厳があります。老いること、寝たきりになることを切り捨てられる社会があります。勝ち組と負け組という言葉が言われます。しかし、世界に勝ち組なんて一握りの人だけです。その勝ち組も、いつ負け組になるかなど誰もわかりません。長生きすることは、この国では誰かに迷惑をかけることなんでしょうか。そんなことは絶対にありません。教会では、きちんと迷惑をかけて欲しいと思います。子どもたちが大切にされるように、年配の方々も大切にされる教会でなければなりません。
84歳のアンナが、毎日神殿に来ることで、そこにいることで、どれだけの人が慰めを得、励ましを得たことかと思うのです。アンナの明るく喜びに満ち、毎日礼拝にくる姿に、いつでもそこにいてくださる、その存在に、多くの人が相談をし、祈ってもらったのではないかと思います。アンナの休まない神殿での礼拝を献げる姿に、祭司たちもまた、どれほど励まされただろうかと思います。駆け出しの、始まったばかりの、新米祭司のおぼつかない奉仕を暖かく見つめ、その84歳の生涯は、何人もの献身者の人生を見てきたのだと思います。長く年を重ねられた方には、それだけ地上で長く愛された人生を見せて下さるのです。
今日も、高齢の方が大切にされていくこの国であって欲しいと思います。そして、あなたの人生もまた長く、神様の愛が注がれる人生でありますように。あなたの真の存在によって支えられている人がいることを、覚えていただきたいと思います。