惜別の言葉-2

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.10.26
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] 使徒の働き 20章
放送日
2020.10.26

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 世の光の時間です。いかがお過ごしですか、板倉邦雄です。今週は、私がお話しします。お話の題は「惜別の言葉 その二」です。
 今私たちは、エペソ教会の長老たちに対する、パウロの惜別の言葉を聞いています。今日はその二回目です。使徒の働き20章の続きになります。
 パウロは語ります。「今や、わたしは聖霊に迫られてエルサレムへ行きます。あの都で、どんな事がわたしの身にふりかかって来るか、わたしにはわからない。ただ、聖霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げているのは、投獄と患難とが、わたしを待ちうけているということです。」
 「わたしは聖霊に迫られて」という言葉は、キリストの霊に縛られると言い換えてもよいでしょうか。投獄と患難が予想される場所へあえて行くのです。それは、キリストの愛に迫られ、キリストの愛に縛られているからでした。
 さらにパウロは続けます。「しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜った、神のめぐみの福音をあかしする任務を果たしえさえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思いません。」
 パウロは確信していました。自分の人生には、走るべき行程が神から与えられているということです。そしてパウロにとって、その走るべき行程とは、主イエス様から賜った、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることでした。
 さらにパウロの惜別の言葉は続きます。パウロの惜別の言葉の第三点は、神の国の福音を述べ伝えたことの満足感ではなかったでしょうか。神のみ旨、私たちに対するみこころと計画を余すところなくパウロは伝えました。
 私の教会音楽の恩師でした天田繋先生の作詞作曲しました「キリストの愛、我に迫れり」という楽曲が、パウロの惜別の言葉と重なりますので、ここに引用します。
 「罪深き わが身に代わり キリストは 十字架につき 命さえ 惜しまず捨てて 贖いを 成し遂げ給えり
  キリストの愛 我に迫れば わが命 君にささげて ひたすらに 主のために生く」新聖歌227番。

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