見せしめ

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2020.10.22
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 23章
放送日
2020.10.22

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 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
 イエス様は逮捕され、ユダヤの議会で死刑判決を受け、その後、ローマ総督ピラトのもとに送られました。ピラトは、イエス様を取り調べましたが、当時のローマ法に照らし合わせても、イエス様を死刑にする罪を見つけることができませんでした。ピラトは三度も、この人には罪が認められないと言っています。ここで、彼が言っている罪という言葉は、犯罪という意味ではなく、理由・原因・責任というような意味の言葉です。つまりピラトは、死刑に当たるような理由や、原因や、責任は、イエスの中に見当たらないと宣告したのです。
 そこでピラトが思いついたのは、恩赦という方法でした。過越の祭には、囚人をひとり、赦免する慣習があったので、ピラトは、バラバとイエスとどちらを釈放して欲しいのかと、集まっていた群衆に問いかけました。
 バラバは有名な極悪人ですから、人々はバラバよりイエスを釈放するということを願うだろうと、ピラトは予想していました。ところが群衆は、バラバを釈放しろと叫び始めたのです。
 そこで、ピラトが次に取った方法は、イエス様を痛めつけ、その惨めな姿を群衆に見せつけることでした。救い主と言っている男の威厳をズタズタにしてしまえば、ユダヤ人たちも満足して、無理な要求を引っ込めるのではないかと考えたのです。そこで兵士たちに命じて、イエス様をむちで打たせました。
 当時のローマの法律で定められたむち打ちの刑は、それは容赦のない残忍なものでした。むちの先には、鉛や青銅や、先のとがった骨が結び付けられていました。そのむちで力任せに打つのです。ローマ兵たちは、イエス様を容赦なくむちで打ちました。そして彼らは、「お前は王様だろう」と言って、茨で編んだ冠を、イエス様の頭にかぶせました。そしてイエス様に、紫色の着物を着せ、「ユダヤ人の王、万歳!」とあざけり、ののしったのです。
 このようにむち打たれ、血だらけになり、茨の冠をかぶせられ、紫色の着物を着せられた、惨めで滑稽なイエス様の姿を見れば、ユダヤ人たちも気が収まるだろうとピラトは考えました。しかし聖書は、このように傷つき打たれたイエス様こそ、まことの救い主であり、私たちの痛みを理解することができる方なのだと教えているのです。

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