心の目か?開かれる祝福

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2020.10.08
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マルコの福音書 10章52節
放送日
2020.10.08

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世の光の時間です。お変わりありませんか、岩井基雄です。今日は、マルコの福音書から「心の目か?開かれる祝福」について考えましょう。
 ある日、キリストがエリコという町から出られるときに、目の不自由なバルティマイがイエスの方に向かって、「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください」と叫びました。当時、目の不自由な人は、人々の憐れみによって助けられ、道端においてもらい、道を通る人びとの施しで生活をしていたのです。しかし彼は、キリストのうわさを聞いていたようです。人の不自由さを癒し、人生を変えたといううわさだったでしょうか。彼は、うわさの人が通る時を待ち続けたことでしょう。
 キリストを囲む人々の声を彼は聞き分けました。そして彼は、大声で叫びました。まわりの人たちが、彼を黙らせようとするほどの叫びでした。バルティマイの心は乾いていたのです。本物の愛といのちを求めて、彼の心は乾いていたのです。
 キリストは彼の心の叫びを聞き、「あの人を呼んで来なさい」と言われました。彼の喜びはどれほどだったでしょうか。彼は上着を脱ぎ捨て、おどりあがってキリストに近づいたのです。そして、「わたしに何をしてほしいのですか。」と語るキリストに、彼は「先生、目が見えるようにしてください。」と求めました。彼は確信していました。この方こそ、私たちが待ち望んでいたメシア、すなわちダビデの子であり、私の目を開くことができると。しかし、キリストが彼に与えたものは、彼の思いをはるかに超えるものでした。
 聖書はこう語っています。イエスは言われた。「『さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救いました。』すると、すぐに彼は見えるようになり、道を進むイエスについて行った。」新約聖書 マルコの福音書10章52節
 救い主キリストが彼に与えたのは救いでした。それは目が開かれたことにとどまりません。彼の心の目、信仰の目、人生の目が開かれ、彼は救い主を目の当たりにし、人生の師として、このキリストの後についていく歩みを始めたのです。
 キリストは、あなたの人生をも、内側から造り変え、心の目が開かれる人生へと導いて下さいます。あなたにも、愛と恵みに満ちる人生が用意されているのです。

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