「平安だ、平安だ」と言う神の民

出演者
羽鳥頼和
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.09.26
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] イザヤ書 45章7節
放送日
2020.09.26

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世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。私たちは今、世界規模の新型コロナ・ウイルスの感染拡大の中にあります。このようなコロナ渦にあって、これは神によるわざわいだという方があるかもしれません。聖書は、このようなわざわいについて何と語っているでしょう。まず、神とわざわいの関係についてお話しします。
 旧約聖書イザヤ書45章7節で、神ご自身がこのように語っておられます。
「わたしは光を造り出し、闇を創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。」
 創造主である神は、わざわいをも造り出すお方です。しかし果たして、神の作り出すわざわいは、私たちを困らせ、苦しめて、最後に滅ぼしてしまう無慈悲な神の業なのでしょうか。いいえ、聖書は、神のなさるわざわいには、神の正しい目的があることを教えています。
 今日は、イスラエルの歴史を語っている旧約聖書エレミヤ書6章から、ユダの国を襲ったわざわいについてお話しします。ここで語られているわざわいとは、バビロンによる侵略です。バビロンは、ユダ王国の都エルサレムを包囲して滅ぼそうとしたのです。どうして神はこの様なわざわいを、ユダの国にもたらしたのでしょうか。それは、ユダの人々が、ほかの国の神々を崇拝し、神の命令に従わなかったからです。
 しかし、ユダを滅ぼすことが神の目的であったのではありません。神は、エルサレムの町についてこう言われました。「エルサレムよ、わたしの懲らしめを受けよ。そうでないと、わたしの心はおまえから離れ、わたしはおまえを、人も住まない荒れ果てた地とする。」
 神は、何とか人々を救おうとされているのです。神は憐れみ深く、情け深いお方であり、何とか人を救おうとされるのです。ところがユダの指導者たちは、国の存亡の危機にもかかわらず「平安だ、平安だ」と言っていました。神が自分を見つめて、自分の罪に気づいて悔い改めなさいと語っているのに、人々は自分のことを顧みず、神を神としなかったのです。私たちは、創造主なる神のみことばを聞いて、神を信頼するものとなりましょう。

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