皆に仕える者となりなさい
- 出演者
- 岩井基雄
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2020.09.21
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] マルコの福音書 10章45節
- 放送日
- 2020.09.21
世の光の時間です。お元気ですか、岩井基雄です。第三月曜日の今日は、マルコの福音書から「仕える者となる祝福」についてご一緒に考えてみましょう。
私たちは心のどこかで、人の上に自分が立つことや、人を自分に従わせたいと考えてしまうことがありますね。あなたはいかがでしょうか。キリストの12弟子の中のヤコブとヨハネが、あるとき、キリストのもとに来ました。そして、「あなたが栄光をお受けになるとき、一人があなたの右に、もう一人が左に座るようにして下さい。」願ったのです。
他の弟子たちは腹を立てました。自分たちを出し抜こうとした二人を許せないだけではなく、彼らにも同じような思いが隠れていたからでしょう。この直前に、キリストが彼らに語っていたのは、ご自身が向かう受難の道、十字架への道のことでした。にもかかわらず弟子たちの心には、傲慢やプライドが渦巻いていたのです。キリストが受ける栄光とは、十字架のことなのだとは理解できず、彼らは、キリストがユダヤの王として君臨するときに、その左右の座につきたいと考えたのです。
しかしキリストは、弟子たちを呼び寄せてこう言いました。「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。」新約聖書 マルコの福音書10章43節、44節です。
他の人に心から仕え、他の人のしもべとなれる人こそ真のリーダーであり、立派な人なのだとキリストは教えました。それは、神のあり方を後にして、人としてこの地上に来られた、神の御子キリストご自身の姿だったのです。このキリストこそ、人々の罪のさばきを身代わりに背負い、私たちの罪を贖うための犠牲として、あの十字架の苦しみをすべてお受けになったからです。そこに本当の栄光の姿がありました。キリストはそこに、私たちを招くのです。あなたも、神と人の前にへりくだり、喜んで他の人に仕える者、キリストの姿に習う者として歩んで行きませんか。
聖書のことば「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」マルコの福音書10章45節
キリストは、あなたのために仕えるものとなって、十字架にかかって下さいました。あなたもその愛を受け止めて下さい。
私たちは心のどこかで、人の上に自分が立つことや、人を自分に従わせたいと考えてしまうことがありますね。あなたはいかがでしょうか。キリストの12弟子の中のヤコブとヨハネが、あるとき、キリストのもとに来ました。そして、「あなたが栄光をお受けになるとき、一人があなたの右に、もう一人が左に座るようにして下さい。」願ったのです。
他の弟子たちは腹を立てました。自分たちを出し抜こうとした二人を許せないだけではなく、彼らにも同じような思いが隠れていたからでしょう。この直前に、キリストが彼らに語っていたのは、ご自身が向かう受難の道、十字架への道のことでした。にもかかわらず弟子たちの心には、傲慢やプライドが渦巻いていたのです。キリストが受ける栄光とは、十字架のことなのだとは理解できず、彼らは、キリストがユダヤの王として君臨するときに、その左右の座につきたいと考えたのです。
しかしキリストは、弟子たちを呼び寄せてこう言いました。「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。」新約聖書 マルコの福音書10章43節、44節です。
他の人に心から仕え、他の人のしもべとなれる人こそ真のリーダーであり、立派な人なのだとキリストは教えました。それは、神のあり方を後にして、人としてこの地上に来られた、神の御子キリストご自身の姿だったのです。このキリストこそ、人々の罪のさばきを身代わりに背負い、私たちの罪を贖うための犠牲として、あの十字架の苦しみをすべてお受けになったからです。そこに本当の栄光の姿がありました。キリストはそこに、私たちを招くのです。あなたも、神と人の前にへりくだり、喜んで他の人に仕える者、キリストの姿に習う者として歩んで行きませんか。
聖書のことば「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」マルコの福音書10章45節
キリストは、あなたのために仕えるものとなって、十字架にかかって下さいました。あなたもその愛を受け止めて下さい。