ルカの福音書33-想像以上のお方

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.09.17
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 2章
放送日
2020.09.17

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世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。ルカ福音書2章には、シメオンという人物が出てきます。イエス・キリストに会うまでは死なないというお告げを信じ、神殿でキリストを日々、待っていたのです。純粋な素直な信仰です。
 では、シメオンはいかにして、そのような信仰に生きることができたのでしょうか。聖書には、この人は正しく敬虔な人で、イスラエルの慰めを待ち望んでいたとあります。シメオンの望んでいたことは、自分の住んでいるイスラエルが慰められることを、待ち望んでいたのです。信仰の荒れ果てたイスラエルに、神様の慰めがもたらされるように祈り続けていたのです。
 シメオンのような純粋な信仰が育てられた場所は、祈りの中でした。シメオンは、自分のことを祈るよりも、この国のために、慰めの必要な誰かのために祈る祈りに生きる人でした。シメオンの待ち望んでいた慰めとは、イスラエルの国の人々が、神様によって救われることでした。彼は、とりなしの祈りの中にいたのです。とりなしとは、誰かのために祈ることです。とりなしの祈りの中にいるとき、聖霊の働きと導きを、なにより感じ取ることができる場所となるのです。
 さらにシメオンは、赤ちゃんのイエス様を抱き上げたときにわかったのです。自分は、イスラエルだけの慰めを待ち望んでいたけれども、この赤ちゃんは万民の前に備えられ、異邦人をも照らす啓示の光、世界中の人々に慰めをもたらすキリストであったことがわかったのです。自分の願っていた願いを超えた、全世界の救いとなるキリストが今、自分の腕の中にいる。震えるような思いにさせられたでしょう。そしてシメオンは、ここで十字架が見えたのです。彼は十字架の預言をします。そして、想像を超えた神の救いの御業が見えていたのです。
 私たちは、シメオンのように自分のために祈ることよりも、誰かのために祈る時、その祈りがきかれることの大きな恵みを体験することとなるでしょう。神様は、私たちが誰かのために祈ることを喜ばれる神です。なぜならば、神様ご自身が、私たちのためにとりなし祈って下さる方だからです。私たちが聖霊なる神に導かれるとき、祈った通りになる以上のことを経験します。私たちが待ち望んでいたこと以上のことをなさる、神の凄みを経験するのです。

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