無実のイエス
- 出演者
- 羽鳥頼和
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2020.09.12
- カテゴリ
- 人物・人生
- 放送日
- 2020.09.12
世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。私は昔、裁判で証人として出廷をして、とても緊張したことがあります。それは、裁判は正義が実行されるところであると思っていたからです。
さて今日は、聖書に記されている不当な判決がされた裁判についてお話しします。その裁判とは、総督ピラトが裁判官として行ったイエスの裁判です。
イエスを訴えたのは、ユダヤ人指導者たちでした。彼らは、イエスが民衆を惑わすものであると訴えて、イエスの死刑を願いました。当時の裁判は、ローマ法という現代の法律の起源となった、とても整えられた法律に従って行われていました。
ピラトは、その法律に基づいてイエスを取り調べました。彼の裁判官としての結論は、訴えられるような罪は何も見つからない。死刑にするようなことは何もしていないということでした。それで彼は、鞭で懲らしめた上で釈放すると言いました。
ところが、ユダヤの指導者と民衆は、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫びました。バラバとは、暴動と人殺しのかどで捕えられていた犯罪人です。
ピラトはイエスを釈放しようと思って、もう一度人々に呼びかけました。しかし彼らは「十字架だ。十字架につけろ。」と叫び続けました。
ピラトは三度言いました。「この人がどんな悪いことをしたというのか、彼には死に値する罪が何も見つからなかった。だから私は鞭で懲らしめた上で釈放する。」
けれども彼らは、イエスを十字架につけるようにしつこく要求し続けました。それでとうとうピラトは、極悪人のバラバを釈放し、無実のイエスを引き渡してしまったのです。不当な裁判です。イエスが訴えれば無罪になったでしょう。裁判官が三度も無実であると宣言したのです。
しかしイエスは、自分を弁護する言葉は一言も言われませんでした。それは、罪のないご自分が身代わりとなって死ぬことが、人々の救いとなることを知っておられたからです。イエス・キリストは、私たちを救うために十字架で死んで下さったのです。
さて今日は、聖書に記されている不当な判決がされた裁判についてお話しします。その裁判とは、総督ピラトが裁判官として行ったイエスの裁判です。
イエスを訴えたのは、ユダヤ人指導者たちでした。彼らは、イエスが民衆を惑わすものであると訴えて、イエスの死刑を願いました。当時の裁判は、ローマ法という現代の法律の起源となった、とても整えられた法律に従って行われていました。
ピラトは、その法律に基づいてイエスを取り調べました。彼の裁判官としての結論は、訴えられるような罪は何も見つからない。死刑にするようなことは何もしていないということでした。それで彼は、鞭で懲らしめた上で釈放すると言いました。
ところが、ユダヤの指導者と民衆は、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫びました。バラバとは、暴動と人殺しのかどで捕えられていた犯罪人です。
ピラトはイエスを釈放しようと思って、もう一度人々に呼びかけました。しかし彼らは「十字架だ。十字架につけろ。」と叫び続けました。
ピラトは三度言いました。「この人がどんな悪いことをしたというのか、彼には死に値する罪が何も見つからなかった。だから私は鞭で懲らしめた上で釈放する。」
けれども彼らは、イエスを十字架につけるようにしつこく要求し続けました。それでとうとうピラトは、極悪人のバラバを釈放し、無実のイエスを引き渡してしまったのです。不当な裁判です。イエスが訴えれば無罪になったでしょう。裁判官が三度も無実であると宣言したのです。
しかしイエスは、自分を弁護する言葉は一言も言われませんでした。それは、罪のないご自分が身代わりとなって死ぬことが、人々の救いとなることを知っておられたからです。イエス・キリストは、私たちを救うために十字架で死んで下さったのです。
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