一人も失わないため

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

もっと詳しく見る

アップロード日
2020.08.28
カテゴリ
人物・人生
放送日
2020.08.28

いいね登録

     登録数:0

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
 イエス様は、ユダの裏切りの手引きによって捕らえられてしまいました。その時ペテロは、剣を抜き大祭司のしもべの耳を切り落としてしまいました。するとイエス様は、「剣をもとに収めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。」と言われました。そしてルカの福音書には、「そのしもべの耳にさわって彼を癒やされた」と書かれています。
 イエス様はなぜ、ペテロにこう言われたのでしょう。それは「一人も失わないために」だったのです。考えてみてください。もしここで、ペテロが剣で戦っていたら、無力な弟子たちはすぐにローマ兵たちに殺されてしまったでしょう。イエス様は逮捕される前に、ヨハネの福音書17章で、祈りの中で、「わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしにくださっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。」と祈っておられました。
 そして、ご自分を捕らえに来た人々に向かって、「もしわたしを捜しているのなら、この人たち(つまり弟子たち))はこのままで去らせなさい。」とも言われました。
 後にヨハネの福音書の中に、「これは、『あなたがわたしに下さった者のうち、ただのひとりをも失いませんでした』と、イエスが言われたことばが実現するためであった。」と記されています。
 つまりイエス様は、弟子たちを守るために「剣を取ってはならない」と言われたのです。そして、ご自分の身を差し出すけれど、弟子たちは剣の災禍に飲まれることなく、無事に去ることができるようにと願っておられたのですね。そして、もしここでペテロが剣で戦ったら、その責任はリーダーであるイエス様が受けることになりますよね。公務執行妨害、傷害致死罪、反逆罪、いろんな罪状がつけられ、そして、それらの罪のために処刑されてもおかしくはありません。しかし、神様の救いをすべての人にもたらすために大切なのは、罪のないイエス様が、すべての人の罪を背負って十字架につくということです。
 イエス様の側ではまったく罪がなく、無抵抗で捕らえられていく、それが救い主としての在り方だったのです。イエス様が十字架につけられることは、神様のご計画でした。剣を使って抵抗する必要などまったくなかったのです。

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ