こうしてヨハナンの側についた
- 出演者
- 福井誠
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2020.08.19
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] エレミヤ書 41章14節
- 放送日
- 2020.08.19
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。エレミヤ書41章14節から、「こうしてヨハナンの側についた」と題して、メッセージをお伝えいたします。
「こうして、イシュマエルがミツパから捕らえて来た民のすべては身を翻し、カレアハの子ヨハナンの側についた。」
エレミヤの預言通りに、エルサレムがバビロンに征服されると、ユダヤの国を統治する総督として、ゲダルヤという人が任命されました。すると、ダビデ王家の血筋の人、イシュマエルが反旗を翻します。おそらく彼は、バビロンの王に信用されず、総督になれなかったのでしょう。結果、イシュマエルは、ゲダルヤの家に押し掛け、食事の席で、丸腰のゲダルヤを打ち殺してしまいます。しかも彼は、ゲダルヤの護衛に当っていたユダヤ人も、バビロンの兵隊も、すべて抹殺してしまいました。その上、さらに残虐行為を重ね、サマリヤからやってきたエルサレムの巡礼者たちも虐殺し、ユダヤ人の人々を、恐怖政治によって支配しようとしたのです。
そこに、総督ゲダルヤの部下ヨハナンが登場し、事態が一転します。イシュマエルに服従を余儀なくされていたユダヤの人々は、身を翻して、総督ゲダルヤの跡を継いだ、ヨハナンの側につくのです。イシュマエルは、他国に亡命していきました。
興味深いのは、その後のヨハナンの行動です。ヨハナンもまたバビロンに、クーデターの責任を問われることを恐れて、ユダヤの人々を道連れに、エジプトへ逃れようとしました。つまり、イシュマエルもヨハナンも、野心や保身で動かされるばかりで、国民の窮状を考えて、しっかり立て直そうとする指導者ではありませんでした。
今日にも、同じような状況があるかもしれませんね。国家がさまよっているというべきか、国民のための善政を考えて、明快に指導力を発揮する指導者は少ないものでしょう。それによって、国民も右往左往、ただ振り回されるだけの時代に生きることを余儀なくされるのです。
神は「光」です。「真理」であり、「いのち」です。神のことばにこそ、正しい時代を築く礎があるというべきでしょう。では良き一週を祈ります。
「こうして、イシュマエルがミツパから捕らえて来た民のすべては身を翻し、カレアハの子ヨハナンの側についた。」
エレミヤの預言通りに、エルサレムがバビロンに征服されると、ユダヤの国を統治する総督として、ゲダルヤという人が任命されました。すると、ダビデ王家の血筋の人、イシュマエルが反旗を翻します。おそらく彼は、バビロンの王に信用されず、総督になれなかったのでしょう。結果、イシュマエルは、ゲダルヤの家に押し掛け、食事の席で、丸腰のゲダルヤを打ち殺してしまいます。しかも彼は、ゲダルヤの護衛に当っていたユダヤ人も、バビロンの兵隊も、すべて抹殺してしまいました。その上、さらに残虐行為を重ね、サマリヤからやってきたエルサレムの巡礼者たちも虐殺し、ユダヤ人の人々を、恐怖政治によって支配しようとしたのです。
そこに、総督ゲダルヤの部下ヨハナンが登場し、事態が一転します。イシュマエルに服従を余儀なくされていたユダヤの人々は、身を翻して、総督ゲダルヤの跡を継いだ、ヨハナンの側につくのです。イシュマエルは、他国に亡命していきました。
興味深いのは、その後のヨハナンの行動です。ヨハナンもまたバビロンに、クーデターの責任を問われることを恐れて、ユダヤの人々を道連れに、エジプトへ逃れようとしました。つまり、イシュマエルもヨハナンも、野心や保身で動かされるばかりで、国民の窮状を考えて、しっかり立て直そうとする指導者ではありませんでした。
今日にも、同じような状況があるかもしれませんね。国家がさまよっているというべきか、国民のための善政を考えて、明快に指導力を発揮する指導者は少ないものでしょう。それによって、国民も右往左往、ただ振り回されるだけの時代に生きることを余儀なくされるのです。
神は「光」です。「真理」であり、「いのち」です。神のことばにこそ、正しい時代を築く礎があるというべきでしょう。では良き一週を祈ります。
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