キリストの十字架の死と復活の予告
- 出演者
- 羽鳥頼和
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
もっと詳しく見る
- アップロード日
- 2020.08.15
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ヨハネの福音書 3章16節
- 放送日
- 2020.08.15
「世の光」の時間です。羽鳥頼和です。
キリスト教のシンボルと言えば「十字架」です。もともと十字架はローマ帝国の死刑の道具でした。イエスはこの十字架にかかって殺されました。罪のないイエス・キリストがすべての人の身代わりとなって、十字架で死なれたのです。この十字架によってのみ、人は救われます。それで十字架が神の救いを表す「キリスト教のシンボル」となったのです。
イエスは、自分が十字架にかかることが神のみこころであり、人の救いとなることを分かっておられました。それでイエスはあらかじめ、弟子たちに十字架のことを語っておられました。ガリラヤ地方で宣教をしておられたイエスは、弟子たちに言われました。
「さあ、これからわたしたちはエルサレムに上って行きます。そこで、旧約聖書で人の子について預言されていたことがすべて実現します。人の子は、異邦人に引き渡され、彼らに嘲られ、辱められ、つばをかけられます。彼らは人の子を、むちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
「人の子」とはキリストのことです。ところが、このことばを聞いたとき、弟子たちは何のことかさっぱりわかりませんでした。しかしその後、この予告通り、イエスは異邦人であるローマ人に引き渡され、十字架で殺されてしまいます。弟子たちは、イエスの死を悲しみ、自分たちも捕まって殺されてしまうのではないかと恐れて、イエスの予告のことばはすっかり忘れてしまいました。
しかし、イエスが死んでから三日目、予告の通りにイエスは復活されました。復活されたイエスを見た弟子たちは、イエスのことばを思い出し、十字架が神の約束された救いであることがわかったのです。
弟子の一人であるヨハネは、イエス・キリストの十字架による救いについてこのように語っています。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」新約聖書 ヨハネの福音書3章16節
キリスト教のシンボルと言えば「十字架」です。もともと十字架はローマ帝国の死刑の道具でした。イエスはこの十字架にかかって殺されました。罪のないイエス・キリストがすべての人の身代わりとなって、十字架で死なれたのです。この十字架によってのみ、人は救われます。それで十字架が神の救いを表す「キリスト教のシンボル」となったのです。
イエスは、自分が十字架にかかることが神のみこころであり、人の救いとなることを分かっておられました。それでイエスはあらかじめ、弟子たちに十字架のことを語っておられました。ガリラヤ地方で宣教をしておられたイエスは、弟子たちに言われました。
「さあ、これからわたしたちはエルサレムに上って行きます。そこで、旧約聖書で人の子について預言されていたことがすべて実現します。人の子は、異邦人に引き渡され、彼らに嘲られ、辱められ、つばをかけられます。彼らは人の子を、むちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
「人の子」とはキリストのことです。ところが、このことばを聞いたとき、弟子たちは何のことかさっぱりわかりませんでした。しかしその後、この予告通り、イエスは異邦人であるローマ人に引き渡され、十字架で殺されてしまいます。弟子たちは、イエスの死を悲しみ、自分たちも捕まって殺されてしまうのではないかと恐れて、イエスの予告のことばはすっかり忘れてしまいました。
しかし、イエスが死んでから三日目、予告の通りにイエスは復活されました。復活されたイエスを見た弟子たちは、イエスのことばを思い出し、十字架が神の約束された救いであることがわかったのです。
弟子の一人であるヨハネは、イエス・キリストの十字架による救いについてこのように語っています。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」新約聖書 ヨハネの福音書3章16節
コメント
番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。