ルカの福音書27-『みことば』というごはん

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.08.06
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 章
放送日
2020.08.06

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。羊飼いが、マリアとヨセフの夫婦のところにやって来て、天使が野原で自分たちに告げたことを伝えました。すると、「マリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。」とあります。
 マリアのように、心に納め思いを巡らす時、自分の人生に起こったことの「点」と「点」が、一つの「線」となってつながっていくことを経験します。「この出来事の意味は、あの祈りをした事を神様が聞いてくださったからなのか」と、「一本の線」となっていくのです。神様のなさる事を、刺繍にたとえた人がいます。刺繍は一見、後ろから見るとぼんやりとしていて、その柄がはっきりとわかりません。しかし一旦、面を向けると、鮮やかな柄が見えてきます。「心に納め思いを巡らす」ということは、人生の「点」と「点」を「線」に繋いでいく作業です。そして「線」と「線」を繋いで、鮮やかな一つの「面」を見ていく作業となるのです。
 神様は無駄なことをなさらず、良くしようとしてくださる神です。しかし私たちは、心に納め思いを巡らす時間を失うならば、私たちは誤った神観、自分の思い込みから作り上げた神を、誤解したままにすることがあるのです。
 多くの人が驚いて、早く判断してしまう時に、自分の時間を神に献げる、沈黙の時を持つ、あるいは文字にして、気づいたことの意味を書き起こすのです。そして、自分の人生の中でその意味を深く心に納めていくのです。
 私にとって、自分と神様との関係を育てられたなと思うのは、この静まる時間を持つことでした。皆さん、一日の中で「静まり」をしているでしょうか。朝に夕に、聖書の前に座り、一日を思い巡らし、自分に起こった出来事を、神様のまなざしの中で受け止めるということをしているでしょうか。
 この「世の光」のラジオの時間も、その時間の一つであるかもしれません。ただ、朝に夜に聖書を読んでも、一向に心に響かないということもあるでしょう。パタンと聖書を閉じた瞬間に、どこを読んだかも思いだせないということがあります。しかし、それでも良いのです。みことばという「ご飯」を食べていれば死にません。はっきり言って、私たちは、昨日の夕飯を覚えていなかったりもします。「食べたかな?」と、食べたことも忘れることがあります。しかし、食べていれば死なないのです。感謝なことに、聖書のことばを食べ過ぎて、体に悪いということはないのですから。

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