くびきに首を差し出す

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.08.05
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] エレミヤ書 27章12節
放送日
2020.08.05

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。エレミヤ書27章12節から「くびきに首を差し出す」と題して、メッセージをお伝えいたします。
 「ユダの王ゼデキヤにも、私はこのことばのとおりに言った。『あなたがたはバビロンの王のくびきに首を差し出し、彼とその民に仕えて生きよ。』」
 このエレミヤの預言は、ユダの王ゼデキヤに向けて語られたものです。紀元前597年、ユダ南王国がバビロンとの戦争に破れて、たくさんの捕虜が、バビロンに初めて連れ去られた、第一回バビロン捕囚のときのことでした。ユダ南王国は、バビロンの属国となったわけですが、エドム、モアブ、アモン、ツロ、シドンなどの近隣諸国は、ユダ南王国に外交使節を送り、同盟を呼びかけ、バビロンへの反乱を企てようとしていました。そこに預言者エレミヤが現れ、「同盟を結ばないように」つまりバビロンのくびきに甘んじて、属国のままに歩むことが、神のみこころであると語るのです。しかし、当時のイスラエルの人々は、バビロン捕囚が速やかに終り、独立国家が回復されることを強く望んでいました。そんなわけで、エレミヤの預言は歓迎されず、耳を貸す者は誰もいませんでした。
 しかし、その状況は今の時代にも起こることなのかもしれませんね。というのは、人は誰でも自分の耳に良いことには耳を傾け、耳障りの悪いものについては聞こうとはしないものでしょう。やはり「あなたの人生はよくなるのだ」という話には耳を傾けても、「これからまだまだ苦難は続くし、その苦難を受け入れていきなさい。しばらくは辛抱ですよ。」などという言葉には、なかなか応じられないものでしょう。
 けれども、しばしば神は、人に忍耐の時を過ごさせることがあります。なぜ、そうされるのか理解に苦しむところですが、人生にはそのような現実もあるのです。もちろん、神に悪意はありません。神は善なる方ですから、理解しがたいそのみこころに強いられていると思われるときがあっても、やがて最善の結果になると信じたいものです。では良き一週を祈ります。

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