私の訴えを打ち明けたのだから

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

もっと詳しく見る

アップロード日
2020.07.29
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] エレミヤ書 20章12節
放送日
2020.07.29

いいね登録

     登録数:0

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は、エレミヤ書20章12節から、「私の訴えを打ち明けたのだから」と題してメッセージをお伝えいたします。
 「正しい者を試し、思いと心を見る万軍の主よ。あなたが彼らに復讐するのを私に見させてください。私の訴えをあなたに打ち明けたのですから。」
 エレミヤは、別名「涙の預言者」とも呼ばれます。それは、神のことばに耳を貸そうとしないイスラエルの民に、涙ながらに神のことばを語り続けた情の熱い預言者であったからです。今日の箇所には、そんなエレミヤに対するイスラエルの人々の嘲りのエピソードが描かれています。
 ここに、「主の神殿」で働いていたパシュフルという祭司が出てきます。パシュフルは、エレミヤが語るエルサレム滅亡の預言に我慢がならず、「それは神のことばではない」と怒りを燃やしてエレミヤを捕らえ、鞭を打ち、牢にぶち込んでしまうのです。なんとエレミヤは一般大衆ではなく、神に使える祭司に、「あなたの言うことは間違っている」と否定されたのですね。
 そのときのエレミヤの心境も描かれています。エレミヤはいささか動揺し、落胆した気持ちを吐き出すような祈りを献げています。実際エレミヤが預言した「エルサレムの滅亡」は、いっこうに実現する気配もなく、語れば語るほどにエレミヤは物笑いとなり、嘲けられてしまいました。エレミヤは、エルサレム滅亡の預言は、確実に起こる神のご計画であると確信していましたが、それ以上に人々は、確信を持ってエレミヤの語ることを否定したのです。
 エレミヤは、四面楚歌の中にありましたが、そこで辱めを受ける自分の境遇を嘆いたりせず、むしろ神に自分の窮状を素直に訴えて語りかけていますね。大事な点です。エレミヤは、神と本当に身内のように話しかけています。
 信仰を持つというのは、教会に通ったり、聖書を学んだりする以上のことです。それは、神との人格的な関係であり、互いに喜びも悲しみも分かち合うような関係を持つことです。いのちある信仰というのは、実に、神との対話が成り立つ関係を持つことだと言うべきでしょう。では良き一週を祈ります

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ