日本の近代教育制度を完成させた森有礼

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.07.27
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ローマ人への手紙 12章10節
放送日
2020.07.27

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「世の光」の時間です。お元気ですか、岩井基雄です。第四月曜日は、「歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯」から学んでいます。少し時代は遡りますが、今日は日本の近代教育制度を完成させた、森有礼について学んでみましょう。明治に生きた「六大教育家」のうち三名はクリスチャンでした。既に新島襄は学びましたので、今月は森有礼、そして来月は中村正直について学びましょう。
 森有礼は、1847年薩摩藩士の五男として生まれました。彼は幕末に、薩摩藩が幕府の禁を犯してイギリスに派遣した、十五人の留学生の一人でした。イギリスの大学で学ぶ中、彼は聖書を基盤とした国際感覚を学び、軍事や技術だけではなく、聖書による人格教育の重要さを確信します。アメリカからキリスト者トーマス・ハリスがロンドンに来たとき、有礼は感化を受けました。そして五人の仲間と共に、ハリスが主催するニューヨーク郊外の「キリスト者共同体」に移り、聖書を学び、キリスト者となります。ハリスの勧めで3年ぶりに帰国した有礼は、新政府の岩倉具視らに西洋の実態を伝え、西洋教育の導入を訴えますが、受け入れられず失意を覚えます。
 しかし明治3年、有礼は能力を買われ、23歳で初代の駐米行使に任ぜられたのです。渡米した有礼を、薩摩の先輩で開拓使次官の黒田清隆が訪ねました。そして有礼は、黒田に人格教育、特に聖書による女子教育の重要性を説きます。そして黒田は、帰国後、津田梅子たち五人の女子留学生をアメリカに送り、有礼は彼女たちの教育を助けます。
 帰国すると有礼は、福沢諭吉や中村正直たちともに、「明六社」を結成します。さらに明治8年には、「一橋大学」の前身となる学校を開設し、次世代を担う学生たちの人格を育んだのです。明治 22年に命を落とすまで、有礼は、命懸けで人格を重んじた教育を日本に根付かせる努力を重ねていったのです。
 聖書のことば「兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。」新約聖書ローマ人への手紙 12章10節

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