『主』という神の御名

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

もっと詳しく見る

アップロード日
2020.07.13
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 詩篇 148篇13節
放送日
2020.07.13

いいね登録

     登録数:0

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。お元気ですか、岩井基雄です。第二月曜日の今日は、 旧約聖書のモーセの生涯から「神の御名」について学んでみましょう。
先月は「モーセの挫折」を学びました。神はモーセをリーダーとし、奴隷状 態であった神の民を、エジプトから脱出させる道を開きます。しかし、その道 は平坦ではなく、エジプト王は怒り、事態は悪くなり、神の民の悲しみと怒り はモーセに向かったのです。
しかしその中でモーセは、神に向かい、神に助けを求めました。そのとき、 神が祈りの答えとしてモーセに与えたのは、神の約束と神の名前の確認でした。 聖書はこう記しています。
神はモーセに語り、彼に仰せられた。「わたしは主である。今わたしは、エジ プトが奴隷として仕えさせているイスラエルの子らの嘆きを聞き、わたしの契 約を思い起こした。それゆえ、イスラエルの子らに言え。『わたしは主である。 わたしはあなたがたをエジプトの苦役から導き出す。あなたがたを重い労働か ら救い出し、伸ばされた腕と大いなるさばきによって贖う。』」旧約聖書 出エジ プト記6章2節、5節、6節
神がモーセに与えたのは、問題の解決の道でもなく、方法でもなく、「神がど ういう存在なのか」ということでした。しかし、そこにこそ、問題の本質的な 解決がありました。
神は、「主」という御自分の名前を繰り返しモーセに語ります。それはかつて、 ミディアンの荒野で、燃え尽きない芝を通して、モーセを使命へと招いた時に 語られた神の名前でした。
「存在」をも意味する「主」という名前は、神がすべての主権を持ち、力あ る存在であることの確認でした。民の苦しみをもすべて知る神ご自身が、「神の 民を導き救い出す」との約束を確認したのです。そして、モーセと民に、その 約束をしっかりと握り立ち上がっていくことを求められたのです。
すべてのことに主権を持つ神様は、あなたとも共におられます。あなたもま た、今あるところで、すべての主権を持つ神ご自身に信頼し、神の約束を握り 締めて、立ち上がっていくことができるのです。
聖書のことば「主の御名をほめたたえよ。主の御名だけがあがめられる。そ の威光が 地と天の上で。」旧約聖書 詩篇 148 篇 13 節

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ