ゲッセマネの苦しみ

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.07.10
カテゴリ
人物・人生
放送日
2020.07.10

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イエス様は「最後の晩餐」の席で、弟子たちにさまざまな教えや、約束をお 語りになった後、弟子たちのために、また後にイエス様を信じるようになる一 人ひとりのために、お祈りなさいました。祈り終えると、弟子たちと賛美の歌 を歌ってから、オリーブ山の麓にある「ゲッセマネ」というところにやってき ました。それも夜、辺りは真っ暗闇に包まれていたことでしょう。
ゲッセマネとは「油しぼり」という意味です。オリーブ山、その名の通りオ リーブの木がたくさんありました。オリーブの実から油を搾り取る場所が、ゲ ッセマネなわけですね。そこにやってくると、イエス様は、ペテロとヤコブと ヨハネを連れて、園の奥に入っていかれました。そして彼らに、「目を覚まして 一緒に祈っていなさい」と命じ、少し離れたところで祈り始められたのです。 この弟子たちは、イエス様のすばらしい御業をいつも身近で見ていましたので、 イエス様といっしょなら、どんなことが起こっても恐くないと思っていたでし ょう。
しかし、弟子たちがこのときに見たものは、これまでとはまったく違うイエ ス様の姿でした。イエス様は悲しみ、もだえ始められたのです。そして、「父よ。 できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」と祈られたので す。この杯とは、自らが神様の裁きを受け、十字架について罰せられるという ことです。ご自分が、すべての人の身代わりとなって罪に定められ、神様に呪 われたものになるという苦しみの杯でした。罪のない神の子イエス様が、神様 に呪われたものになるということほど、そんな大きな矛盾、それは大きな悲劇 です。「できれば、わたしから過ぎ去らしてください。」と必死で祈るほどの大 きな苦しみでした。
きっと、サタンはこうささやいたことでしょう。
「イエスよ、なぜすぐに心変わりしてしまうような人間のために自分が呪わ れなければならないのだ。罪を背負って十字架につくなんて、ただの犬死にだ ぞ。人の罪を背負うなんて馬鹿なことを考えるのはよせ。」
しかし一方で、ルカの福音書には、「御使いが天からイエスに現れて、イエス を力づけた。」と書いてあるのです。人々を救おうとする、神のみ心がなるのか、 神が勝つのかサタンが勝つのか、その分岐点となったのが、このゲッセマネの 苦しみの祈りだったのですね。

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