暗やみは、真昼のようになる

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.07.01
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] イザヤ書 58章10節
放送日
2020.07.01

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力 なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあり ます。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はイザヤ書 58 章 10 節から、 「暗闇は、真昼のようになる」と題して、メッセージをお伝えいたします。
「飢えた者に心を配り、苦しむ者の願いを満たすなら、あなたの光は闇の中 に輝き上り、あなたの暗闇は真昼のようになる。」
わかってるようでわからないのが、自分の姿ですね。恥ずかしいことに、自 分の姿について他人に指摘されて初めて気づかされたりするものです。
今日の箇所は、イスラエルの民が神様に自分たちの問題を指摘され、教えら れている場面があります。イスラエルの民は神に熱心にささげ物をし、罪滅ぼ しをし、祈りを献げましたが、どうも神の反応が悪い。祝福が戻ってきた感じ がしない。そこで、「なぜ私たちが断食をしたのに、どうしてそれを認めてくだ さらないのですか」と、神に問いかけていますね。
それに対して、神様の答えは率直です。「あなた方の断食も祈りも、私が求め るようなものではない」と。神様は言います。「わたしは、断食や熱心な祈り、 多くの献げ物といった、さも宗教的な行為などは求めていない。むしろ、わた しが求めているのは、神を愛する者にふさわしい、自然な振る舞いだ」と。
例えば、断食をしながら、悪い楽しみに耽るなんていうのはどんなものか。 そんな罪滅ぼしに、何の意味があるのか。むしろ、神が喜ぶ断食は、空腹の者 がいれば食べ物を分け与え、寒さに凍えている人がいれば温かいものを分け与 える、人間として自然な心を持って生きることであるし、神の偉大さを認めて、 神様を賛美し、神様の前にへりくだる、自然な心ではないかと。そのような人 には豊かに水が湧き出るように神の祝福が溢れ注がれるのだと言います。
キリスト教信仰を持つということは、もっと人間として自然なことであると 思います。そして聖書それ自体も、信仰を持つということは、宗教的な行為に 熱中することよりも、日常の中にあって成熟した大人になることを教えている のです。では良き一週を祈ります。

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