わたしの友

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.06.26
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 15章15節
放送日
2020.06.26

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。今日 も最初に、イエス・キリストのことばを紹介いたしましょう。ヨハネの福音書 15 章15節。
「わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何 をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から 聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。」
ここで、イエス様が言っておられる「友」ということばは、とても深い意味 があります。ヨハネがこの福音書を記した時には、既にクリスチャンたちの数 も増え、教会もいろいろなところにできていました。クリスチャンは自分を「主 イエスのしもべ」とよく呼んでいました。特にパウロは手紙の中で「しもべ」 という言葉をたくさん使っていますよね。
しかしヨハネは、イエス様のことばをここに記して、私たちはイエス・キリ ストのしもべであるけれども、イエス様の友でもあるのだ。イエス様は私たち のためなら命を捨てることもいとわないほどに、私たちを大切な友として愛し て下さっているのだということを伝えているんですね。
しもべは、ご主人から「この仕事をしなさい」と言われたら、理由を問うこ となどできません。絶対服従なわけです。しかし友は違いますよね。「何かをし てよ」と頼まれて、理由が分からなければ「どうして?」と尋ねますよね。相 手が何かを隠していたら「なんだ水臭いなぁ、なぜ打ち上げてくれないの?」 と言いますよね。自分の考えや計画や目的を、友だちだからこそ打ち明けるの です。
旧約聖書を見ると、イスラムの国を統一したダビデ王の側近の中には、「王の 友」と呼ばれる人がいました。この「王の友」は、いつでもアポなしで、王様 の部屋に入ることが許されました。どんな大臣や家来よりも先に王様と語る権 利を持った者、それが「王の友」と呼ばれたのです。それほどに王様に信頼さ れ、王様と親しく語り合うことができたわけですね。
イエス様は、愛の中に留まる私たち一人ひとりを「私の友」と呼んで下さい ます。そして「私はあなたに隠し立てすることなど何もない、あなたは私の友 なのだ」と言ってくださるのです。
イエス様は、私たちを深く信頼して下さっています。そして聖書を通してイ エス様は、「父から聞いたことをみな、あなたに知らせる」と約束しているので す。私たちは友なるイエス様に、自由に親しく語りかけながら歩む者なのですね。

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