わたしのほかに神はいない

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.06.17
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] イザヤ書 44章6節
放送日
2020.06.17

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力 なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあり ます。今日も聖書を開いてまいりましょう。イザヤ書 44 章 6 節から「私のほか に神はいない」と題して、メッセージをお伝えいたします。
「イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう言われる。『わた しは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はいない。』」
世の中には、さまざまな木や石で作られた神、つまり「偶像」というものが ありますね。イザヤはそれらを拝むことは、人生においてむなしい期待を持つ ことである、と分かりやすく語っています。
というのも、偶像は人がつくるものです。人が寸法を測り、印をつけて神々 しい形にするわけです。ですからその偶像は一歩も歩けないし、一言も話すこ とができません。見かけはとてもすばらしい像となっても、その本質が木であ り、石であることに変わりはありません。当時の人は、お腹が空けば同じ木切 れを燃やしてパンを焼いたり、寒い日には暖をとったりと、自分の用立てに使 いました。たとえどんなに苦心して作ったものであっても、燃料となる木切れ と変わりはないのです。となれば、それらにどんな力があるというのでしょう。 商売繁盛、無病息災、家内安全と人はそれらに人生の願いを込めますが、それ は虚しい期待と言わなくてはなりません。人はそのような原始的、迷信的な信 仰から卒業しなくてはなりませんね。作られる必要のない、まことの神がおら れることを知らなくてはなりません。目には見えませんが確かに存在し、人の 人生に関わり、人を助けて下さる神がおられることを。
ところで預言者イザヤは、このことばを、戦争に敗れたイスラエルの国の回 復の預言として語りました。個人的な商売繁盛、学業成就のお話どころではな く、滅んだ国の再興について神に期待し、拠り頼むように語ったのです。
神の存在は、私たちが考える以上にスケールの大きなものです。そして神に かけて生きていく人生のスケールも大きいのです。神を信じるなら、それなり の偉大な神を信じたいものですね。では、良き一週を祈ります。

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