主の前に広げた
- 出演者
- 福井誠
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2020.06.10
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] イザヤ書 37章14節
- 放送日
- 2020.06.10
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井誠です。「継続は力 なり」聖書を一日一日と読み進むなら、不思議にも自然に養われるものがあり ます。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はイザヤ書 37 章 14 節から「主 の前に広げた」と題して、メッセージをお伝えいたします。
「ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取って読み、主の宮に上って行 き、それを主の前に広げた。」
このときヒゼキヤ王は、隣接する強国アッシリアに無条件降伏を求められて いました。圧倒的な力の差によって、ヒゼキヤの国イスラエルの首都エルサレ ムが包囲され、もはや陥落寸前であったのです。
そこでヒゼキヤは、自分の元に届けられた敵からの手紙を手に、神殿に出か けています。先週のメッセージでもお話ししましたが、人ではなく神にこそ信 頼することが大切です。ヒゼキヤ王は、イスラエルを治めた王の中でも数少な い、なによりも神を信頼する王でした。彼はその手紙を受け取ると神殿に上っ ていき、それを主の前に広げて祈ったのです。神殿は神がおられるところ、神 の目が注がれ、耳が開かれ、神が心を動かされるところ、それが彼の信仰だっ たわけです。
かつて、その神殿を建て上げたソロモンという王様も、「だれでもそこで祈る なら、天でその祈りと願いを聞いて、彼らの言い分を聞き入れてやってくださ い。」と願いましたが、ヒゼキヤはソロモンと神のやりとりを心に抱いて、信仰 をもって目に見えない神に向かって手紙を開いて、心を注いで窮状を訴えたの です。
しかし、そのような窮状で誰が助けてくれるというのでしょう。しかし、落 ち込んで伏せていたとしても、脅威が過ぎ去るわけでもありません。何とかし なければならない。でも何もできないし、誰も助けてくれやしない。そのよう なときには、腹をくくって心を神に向けて、神の助けを信頼して祈るほかはあ りません。聖書はこの祈りの結果、奇跡的な神の介入があり、アッシリアが退 却した様子を伝えています。
これを、単なる昔話としてしまえばそれまでです。どんなときにも何か道は あるはずだと、神の目が注がれている教会へ出かけて祈りたいものです。主が あなたの祈りに耳を傾けてくださるでしょう。では、良き一週を祈ります。
「ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取って読み、主の宮に上って行 き、それを主の前に広げた。」
このときヒゼキヤ王は、隣接する強国アッシリアに無条件降伏を求められて いました。圧倒的な力の差によって、ヒゼキヤの国イスラエルの首都エルサレ ムが包囲され、もはや陥落寸前であったのです。
そこでヒゼキヤは、自分の元に届けられた敵からの手紙を手に、神殿に出か けています。先週のメッセージでもお話ししましたが、人ではなく神にこそ信 頼することが大切です。ヒゼキヤ王は、イスラエルを治めた王の中でも数少な い、なによりも神を信頼する王でした。彼はその手紙を受け取ると神殿に上っ ていき、それを主の前に広げて祈ったのです。神殿は神がおられるところ、神 の目が注がれ、耳が開かれ、神が心を動かされるところ、それが彼の信仰だっ たわけです。
かつて、その神殿を建て上げたソロモンという王様も、「だれでもそこで祈る なら、天でその祈りと願いを聞いて、彼らの言い分を聞き入れてやってくださ い。」と願いましたが、ヒゼキヤはソロモンと神のやりとりを心に抱いて、信仰 をもって目に見えない神に向かって手紙を開いて、心を注いで窮状を訴えたの です。
しかし、そのような窮状で誰が助けてくれるというのでしょう。しかし、落 ち込んで伏せていたとしても、脅威が過ぎ去るわけでもありません。何とかし なければならない。でも何もできないし、誰も助けてくれやしない。そのよう なときには、腹をくくって心を神に向けて、神の助けを信頼して祈るほかはあ りません。聖書はこの祈りの結果、奇跡的な神の介入があり、アッシリアが退 却した様子を伝えています。
これを、単なる昔話としてしまえばそれまでです。どんなときにも何か道は あるはずだと、神の目が注がれている教会へ出かけて祈りたいものです。主が あなたの祈りに耳を傾けてくださるでしょう。では、良き一週を祈ります。
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