信じるということ-2 苦しみと葛藤の中で

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • イースター

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アップロード日
2020.04.09
カテゴリ
人物・人生
放送日
2020.04.09

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。今月は イエス・キリストの復活を祝う「イースター」を迎えます。
キリストの復活を喜ぶ他の弟子に向かって、トマスという弟子は、「私は決し て信じない」と言いました。信じるとは一体どういうことなのでしょうか。
弟子たちの前にイエス様が現れた 8 日のちに、弟子たちは同じく室内にいま した。しかし、8 日前と一つだけ違うことがありました。この日、トマスも彼ら といっしょにいたと記されていることです。8 日前にはトマスは弟子たちと同じ 場所にいませんでした。トマスは、イエス様が十字架にかかられたとき、12 人 に選ばれた弟子の一人であったにも関わらず、裏切り逃げ出してしまったので す。彼は自分の信仰に挫折しました。弟子たちの交わりにいられなくなったト マスがいたのでしょう。教会の交わりから身を引いてしまっていたのです。
聖書は、トマスが信じることができなかった理由として、疑いやすいトマス の性格があったとは記していません。淡々と記すのは、イエスが来られたとき に、トマスは彼らといっしょにいなかったという事実です。
実は、この箇所が私たちに光を当ててくれているのは、「私たちはどこで信じ るのか」という、信仰を持つ場所についてです。聖書が問題にしているのは、 実は「疑う」ということ自体ではなく、「どこで疑うのか」ということです。そ して結論からいうならば、「人は教会という交わりを離れて、信仰への疑いを克 服することはできない」ということです。
復活の知らせを聞いたとき、トマスは信じられない自分の葛藤を教会にぶつ けます。そして教会も、疑い悩むトマスを受け止めて、トマスと 8 日間いっし ょにいるのです。トマスは不信仰と疑いの思いを抱えつつも、信仰者の交わり の中に留まっていたのです。教会という場所こそ、安心して疑うことのできる 場所なのです。
私たちは、教会で神様の存在を疑うことが必要です。一人で神の存在を問い ただしたとしても、その答えを見つけられないでしょう。ですから、信じられ ないと思えば思うほど、教会に来ていただきたいと思います。クリスチャンの いるところに身を置いていただいて、そこで悩んで欲しいと思うのです。
どうぞお近くの教会に、このイースター訪ねていただきたいと思います。

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