孤独
- 出演者
- 榊原 寛
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2026.09.05
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ヨハネの福音書 14章18節
[新約聖書] マタイの福音書 28章20節
- 放送日
- 2026.09.05
神の愛を伝えて75年!今日の「世の光」は、1999年3月に放送された榊原寛牧師のお話をお届けします。
イエス・キリストが弟子たちを集めて、地上での最後の夕食をお取りになったことがあるんですね。これが有名な最後の晩餐です。この時キリストは、弟子たちに数々のお話をされました。そのお話が、新約聖書のヨハネによる福音書14章から16章にかけて書かれています。その中に、キリストは弟子たちに「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです」と言われました。つまり、弟子たちをみなしごにはしない。ひとりぼっちにしないということばなんですね。このことばの通りに復活されたキリストは、「世の終わりまで、わたしは、あなたがたとともにいます」と約束されました。
ところで、このひとりぼっち、「孤児」ということですが、ちなみに「孤独」ということばを辞書で調べてみたんですね。「孤独」の「孤」という文字は、「みなしご」という意味であると共に、「他から切り離されて存在すること」とありました。親子という関係があり、夫婦という関係があり、兄弟という関係があります。あるいは、親友という関係がありますが、どのようなことが起こったかはともかく、ある時から、その関係が断たれて切り離されているということが「孤独」の「孤」という意味だと言うんですね。
また、「孤独」の「独」という文字には、老いて子どものない人とかですね。連れがないとか、一人という意味があるわけです。もしかすると、連れがいても、子どもたちがいても、一人をしみじみ味わう場合が無きにしも非ずですよね。その二つの字、「孤」と「独」によって「孤独」となるわけですが、この意味には、「周囲に頼りになる心の通い合う相手が一人もいないで、ひとりぼっちであること」と説明されていました。自分の周りには、たくさんの友人知人がいる、家族もいる。しかし、心の通い合う人がいない。したがって当然ながら、頼りになる人がいないということほど、孤独を味わうことはありませんよね。
M・スコット・ペックという人は、「孤独」についてこんな風に言っています。「孤独は寂しさとは別のものである。孤独とは自分の到達したレベルで通じ合える人のいないことである」つまり、自分の到達したレベルというのは、自分が今いるところという意味でしょう。そこが分かってもらえない。そこで、心が通い合えない。その時の寂しさは、単に寂しいというだけでなく、ひとりぼっち、つくづく孤独だなということを痛感させられるわけです。
そんな中で、イエス・キリストはこうおっしゃいます。「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです」つまり、私の人生のすべての寂しさ、孤独を経験したキリストだからこそ、「あなたがたを、ひとりぼっちにはしないよ」とおっしゃいます。このキリストが、今日もあなたと共においでになります。
イエス・キリストが弟子たちを集めて、地上での最後の夕食をお取りになったことがあるんですね。これが有名な最後の晩餐です。この時キリストは、弟子たちに数々のお話をされました。そのお話が、新約聖書のヨハネによる福音書14章から16章にかけて書かれています。その中に、キリストは弟子たちに「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです」と言われました。つまり、弟子たちをみなしごにはしない。ひとりぼっちにしないということばなんですね。このことばの通りに復活されたキリストは、「世の終わりまで、わたしは、あなたがたとともにいます」と約束されました。
ところで、このひとりぼっち、「孤児」ということですが、ちなみに「孤独」ということばを辞書で調べてみたんですね。「孤独」の「孤」という文字は、「みなしご」という意味であると共に、「他から切り離されて存在すること」とありました。親子という関係があり、夫婦という関係があり、兄弟という関係があります。あるいは、親友という関係がありますが、どのようなことが起こったかはともかく、ある時から、その関係が断たれて切り離されているということが「孤独」の「孤」という意味だと言うんですね。
また、「孤独」の「独」という文字には、老いて子どものない人とかですね。連れがないとか、一人という意味があるわけです。もしかすると、連れがいても、子どもたちがいても、一人をしみじみ味わう場合が無きにしも非ずですよね。その二つの字、「孤」と「独」によって「孤独」となるわけですが、この意味には、「周囲に頼りになる心の通い合う相手が一人もいないで、ひとりぼっちであること」と説明されていました。自分の周りには、たくさんの友人知人がいる、家族もいる。しかし、心の通い合う人がいない。したがって当然ながら、頼りになる人がいないということほど、孤独を味わうことはありませんよね。
M・スコット・ペックという人は、「孤独」についてこんな風に言っています。「孤独は寂しさとは別のものである。孤独とは自分の到達したレベルで通じ合える人のいないことである」つまり、自分の到達したレベルというのは、自分が今いるところという意味でしょう。そこが分かってもらえない。そこで、心が通い合えない。その時の寂しさは、単に寂しいというだけでなく、ひとりぼっち、つくづく孤独だなということを痛感させられるわけです。
そんな中で、イエス・キリストはこうおっしゃいます。「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです」つまり、私の人生のすべての寂しさ、孤独を経験したキリストだからこそ、「あなたがたを、ひとりぼっちにはしないよ」とおっしゃいます。このキリストが、今日もあなたと共においでになります。
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