角が取れた石ころ
- 出演者
- 榊原 寛
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2026.09.03
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ローマ人への手紙 5章3~5節
- 放送日
- 2026.09.03
神の愛を伝えて75年!今日の「世の光」は、1998年3月に放送された榊原寛牧師のお話をお届けします。
子どもの頃、よく父親からこんな話を聞きました。石ころの話です。「河原の石ころはな、全部丸みを帯びているだろう。しかし、それは初めから丸かったんじゃないんだぞ。山から崩れ落ちた時には角ばって、ごつごつしたものだったんだ。しかし、川の上流から下流に流されてくる間に、あちらにぶつかり、こちらにぶつかり、揉まれながら角が落ちて、次第に丸くなって川の下流に流されてくるんだ。人間も数々の苦労や大変さや人間関係に揉まれて、丸みのある人間になるんだぞ」と言うような話で、お前もそうならなくちゃならないぞというようなことなんですね。
こんな話は百も承知なんですが、いざ実際に試練や患難にあうと、そんな余裕はありません。ただ、なぜ自分ばかりがこんな苦しい目にあわなくちゃならないのかと、つぶやきながら他人を羨ましく思い、しまいには神の愛も、神の存在もあったもんじゃないなんていうようなことになってしまいます。
山本周五郎の「ながい坂」にある文章ですが、「人間にいちばん大切なのは逆境に立ったときだ、銭を借りるなどでいちじを凌ぐ癖がついたら、とうてい逆境からぬけ出ることはできない、どんなに苦しくとも、自分の力できりぬけてこそ立直れるものだ」こういう内容ですね。
確かに、借金して一時をしのごうというように、何らかの方法で一時をしのぐこともあるかもしれませんが、それは本当の解決ではないんですね。でも、自分の力が尽きてしまった時、もうお手上げだとなってしまった時、人間はどうすればいいんでしょう。その時、初めて神への信仰が起こってくると思うんです。それはどうでしょうか。下手すると、どこか敗残の兵の姿のように思う人がいるんじゃないでしょうか。
聖書を見ると、神は人間が神を退けて人間の力で何でもできるっていう傲慢から、自分の弱さや小ささを知る時を待っておられるということがわかります。そのようにならないと人間は、神を認めようとしないほどに傲慢になっているんですね。むしろ、どうでしょうか。人間が自分の力で何でもできている時、順風満帆の時こそ、神様への感謝と謙遜をもつ時ですね。いざ患難にあっても、苦しみにあってもそれが、その人の人間性をより強く充実させるものになっていくんじゃないでしょうか。
聖書は言います。「患難が忍耐を生み出し、忍耐は練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」神様のご訓練は、あなたを素晴らしい角が取れた丸い石になさってくださいます。
子どもの頃、よく父親からこんな話を聞きました。石ころの話です。「河原の石ころはな、全部丸みを帯びているだろう。しかし、それは初めから丸かったんじゃないんだぞ。山から崩れ落ちた時には角ばって、ごつごつしたものだったんだ。しかし、川の上流から下流に流されてくる間に、あちらにぶつかり、こちらにぶつかり、揉まれながら角が落ちて、次第に丸くなって川の下流に流されてくるんだ。人間も数々の苦労や大変さや人間関係に揉まれて、丸みのある人間になるんだぞ」と言うような話で、お前もそうならなくちゃならないぞというようなことなんですね。
こんな話は百も承知なんですが、いざ実際に試練や患難にあうと、そんな余裕はありません。ただ、なぜ自分ばかりがこんな苦しい目にあわなくちゃならないのかと、つぶやきながら他人を羨ましく思い、しまいには神の愛も、神の存在もあったもんじゃないなんていうようなことになってしまいます。
山本周五郎の「ながい坂」にある文章ですが、「人間にいちばん大切なのは逆境に立ったときだ、銭を借りるなどでいちじを凌ぐ癖がついたら、とうてい逆境からぬけ出ることはできない、どんなに苦しくとも、自分の力できりぬけてこそ立直れるものだ」こういう内容ですね。
確かに、借金して一時をしのごうというように、何らかの方法で一時をしのぐこともあるかもしれませんが、それは本当の解決ではないんですね。でも、自分の力が尽きてしまった時、もうお手上げだとなってしまった時、人間はどうすればいいんでしょう。その時、初めて神への信仰が起こってくると思うんです。それはどうでしょうか。下手すると、どこか敗残の兵の姿のように思う人がいるんじゃないでしょうか。
聖書を見ると、神は人間が神を退けて人間の力で何でもできるっていう傲慢から、自分の弱さや小ささを知る時を待っておられるということがわかります。そのようにならないと人間は、神を認めようとしないほどに傲慢になっているんですね。むしろ、どうでしょうか。人間が自分の力で何でもできている時、順風満帆の時こそ、神様への感謝と謙遜をもつ時ですね。いざ患難にあっても、苦しみにあってもそれが、その人の人間性をより強く充実させるものになっていくんじゃないでしょうか。
聖書は言います。「患難が忍耐を生み出し、忍耐は練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」神様のご訓練は、あなたを素晴らしい角が取れた丸い石になさってくださいます。
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