悔い改めの涙
- 出演者
- 羽鳥 明
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2026.08.29
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] コリント人への手紙第二 7章10節
- 放送日
- 2026.08.29
神の愛を伝えて75年!今日の「世の光」は、1999年6月に放送された羽鳥明牧師のお話をお届けします。聞き手は、当時の「世の光」アナウンサー四本郁子さんです。
今日の私のバイブルメッセージは、「悔い改めの涙」というテーマです。「涙に捧げられた祭壇」というのがあるそうです。そこでは罪を悔い、悲しみに閉ざされた人々が、ぬかづいて思う存分泣くことによって、その悲しみを泣き消すというんですか、そういうところだったそうですね。
泣いて涙を流すことによって、一時的な気晴らしになるかもしれません。しかし、本当の根本的な解決にはなりませんね。本当の解決には2つのポイントがあります。まず第一は、心からの罪を悔い改めて悲しむ、悲しみの涙です。しかし、それだけではダメですね。第二には、本当の悔い改めの涙を受け入れてくださり、罪を赦してくださる神の恵みの赦しが必要ですね。この2つが真正面から出会うときに、本当の解決、再出発があるわけですね。
第一に、罪の悔い改めの涙です。人間には、罪を悔えるだけの悲しみ、涙があります。ユダは、金貨30枚で主イエスを敵の手に売り渡しました。まずいことしてしまった。しまったという後悔はありましたけれども、悔い改めの涙はなかったんです。ですから、夜の暗い朝の中に、外に出て行って首を吊って自殺をしました。
それに対して、鶏の鳴く前に三度も主を否むと予言されたペテロは、主を知らないと三回も言い張って、主を裏切ったことを悔い改め、激しく泣き、十字架のイエスのみもとに崩れひざまずくんですね。聖書は言います。「今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです」
第二に、イエス・キリストは、十字架にかかってすべての人の罪を一身に負い、死んで罪を赦してくださいました。神は愛して、赦していてくださるのです。この神の愛と、人の悔い改めの涙が出会ったときに、赦されたたましいの再出発があるんですね。聖書のことば「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」コリント人への手紙第二 7章10節のことばです。
今日の私のバイブルメッセージは、「悔い改めの涙」というテーマです。「涙に捧げられた祭壇」というのがあるそうです。そこでは罪を悔い、悲しみに閉ざされた人々が、ぬかづいて思う存分泣くことによって、その悲しみを泣き消すというんですか、そういうところだったそうですね。
泣いて涙を流すことによって、一時的な気晴らしになるかもしれません。しかし、本当の根本的な解決にはなりませんね。本当の解決には2つのポイントがあります。まず第一は、心からの罪を悔い改めて悲しむ、悲しみの涙です。しかし、それだけではダメですね。第二には、本当の悔い改めの涙を受け入れてくださり、罪を赦してくださる神の恵みの赦しが必要ですね。この2つが真正面から出会うときに、本当の解決、再出発があるわけですね。
第一に、罪の悔い改めの涙です。人間には、罪を悔えるだけの悲しみ、涙があります。ユダは、金貨30枚で主イエスを敵の手に売り渡しました。まずいことしてしまった。しまったという後悔はありましたけれども、悔い改めの涙はなかったんです。ですから、夜の暗い朝の中に、外に出て行って首を吊って自殺をしました。
それに対して、鶏の鳴く前に三度も主を否むと予言されたペテロは、主を知らないと三回も言い張って、主を裏切ったことを悔い改め、激しく泣き、十字架のイエスのみもとに崩れひざまずくんですね。聖書は言います。「今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです」
第二に、イエス・キリストは、十字架にかかってすべての人の罪を一身に負い、死んで罪を赦してくださいました。神は愛して、赦していてくださるのです。この神の愛と、人の悔い改めの涙が出会ったときに、赦されたたましいの再出発があるんですね。聖書のことば「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」コリント人への手紙第二 7章10節のことばです。


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