谷に泉を

出演者
村上宣道
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2026.08.22
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 18章9~14節
[旧約聖書] 詩篇 104篇10~11節
放送日
2026.08.22

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神の愛を伝えて75年!今日の「世の光」は、2001年9月に放送された村上宣道牧師のお話をお届けします。

ある植木屋の職人さんがこんなことをおっしゃってまして、「だいたいね、仲間で俺はあいつよりちょっとはマシだって思っている時は、傍から見ればどっちもどっち、同じぐらいなんだよね。だいたいあいつとは同じぐらいだって思っているとしたら、その時は大抵自分の方が劣っているに決まっているんだよな」って。「だいたい人間つうもんは、うぬぼれが強くて、自分に点数は甘いものなんだよな」ってこう言っているのを聞いてですね。人生の達人の言うことは、なるほど、なんていうふうに思ったりしたんですけどね。人間はどこか、そういう、うぬぼれがないと生きていられないところがあるのかわかりませんが。
イエス様がですね、自分は義人だ、正しいって自認している人と、他の人々を見下している人たちのことをですね、ある例え話で話されたことがあるんですよ。二人の人が祈るために宮に登ったっていうんですね。一人の方は、心の中で「神よ、私は他の人々のようにゆすったり、不正なことをしたり、姦淫するものではなくて、ことにここにいるこいつのようなことは私はしていないことを感謝します。」というふうに祈ってたっていうんですね。ところが片方の方は、目を天に向けようともしないで、自分の胸をたたいて、「神様、こんな罪人の私をあわれんでください」って、こう祈ってた。
イエス様は、「どっちの方が、神の前に正しいと認められて、神に受け入れられるか?」というふうに、イエス様が人々に問いかけなさったわけですよ。片方の方は誰から見ても、あの人は社会的には立派な人だと言われる人だったんですね。片方の人は、「あいつはさぁ」と言われるような、そういうタイプの人だったんだけども、しかし「神様、私はあなたの前に出れるような人間ではありません」と言った人の方が、神の前には受け入れられてという。イエス様は「誰でも自分を高くするものは低くされ、自分を低くするものは高くされるからです」というふうにおっしゃったんですね。
聖書の中に、「主は泉を谷に送り、山々の間を流れさせ、野のすべての獣に飲ませられます」と詩篇の104篇にあることばなんですけども、やっぱり祝福とか恵みというのは、低いところに流れていくということですね。神様の恵みというのも、そういうものだと教えているんですね。泉が与えられるのは山のてっぺんではなくて谷だというわけですね。低いところに、私が本当にこの人間はダメな人間だな、神様なしには生きられない、そういうことを本当に認める人に恵みが施されるということなんですね。

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