一粒の麦が

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2026.06.30
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 12章23~26節
[新約聖書] マタイの福音書 20章28節
放送日
2026.06.30

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。
今日は「一粒の麦が」という題でお話ししましょう。イエス・キリストはご自分を一粒の麦にたとえられました。畑に蒔かれた種を掘り返して見たことがありますか。種から根が出て、次に芽が出ます。やがて育って穂が出ると豊かな実を結ぶのです。イエス・キリストの十字架の死は、この世界に蒔かれた一粒の麦でした。
さて、この一粒の麦の話は、ギリシャから巡礼に来た人々がイエス様に紹介されたことをきっかけに始まります。さてイエス様は、ご自分を一粒の麦にたとえた後で、人々にこう言われました。「自分の命を愛する者はそれを失い、この世でその命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るのです」自分の命を愛する者、とは自己中心の人生を追求する人、自分の欲望ばかりを求める人のことでしょうか。そのような人は、一粒の麦のままだ、ということです。孤独で寂しく、虚しく人生を終わることでしょう。他方、この世で自分の命を憎む者とは、自分自身をこの世で神様と人々のために犠牲にすることではないでしょうか。一粒の麦となって、この世で死ぬことです。すると生きて、豊かな実り多い人生となり、永遠の命に至るのですね。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という日本のことわざもあります。
さらにイエス様は人々に語ります。「わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいるところに、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます」キリストにお仕えする人生の心得は何でしょうか。私の父は、私たち息子3人に、人を使う人間になれ、と言っていました。これがこの世の常識でしょう。しかし、イエス様は、人から仕えられる人生ではなく、仕える人生こそ、一粒の麦が地に落ちて死ぬことだ、と教えられたのです。父なる神様がその人に豊かに報いてくださるのです。キリストのことばです。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためである」新約聖書マタイによる福音書20章28節

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