誰とくびきを負って歩みますか?

出演者
水谷 潔
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

もっと詳しく見る

アップロード日
2026.05.19
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 11章28~30節
放送日
2026.05.19

いいね登録

     登録数:3

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会・協力牧師の水谷潔です。
聖書の中でイエス・キリストは、私たちをこのようなことばでご自身のもとへと招いておられます。新約聖書マタイの福音書11章の28節から30節をお読みします。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」
イエス様は疲れて重荷を負っている私たちを、休ませてあげようと、お招きになります。そして、一休みした後には、くびきを負って共に歩みましょうと語り掛けます。「くびき」というのは、畑を耕すために二頭の牛や馬を木の枠で組んで、同じ方向に進ませるための器具です。くびきを負うなら、負った相手と、同じ速さで同じ方向に進まざるを得なくなります。
そこで考えてみたいのです。私たちは自由なようで、実は、誰かとくびきを負って歩んでいるのではないでしょうか。たとえば、「世間様」などはどうでしょうか。世間様とは、ある意味、神様のような存在です。世間様から認められることを願い、人の評価をいつも気にして、空気を読みながら、本当の自分ではない不本意な自分を生きているということはないでしょうか。世間様が決めたレールから外れることを、まるで神様に見捨てられるかのように、恐れることはないでしょうか。
世間様とくびきを負って生きることは、最も安全なように思えますが、それは重いくびきを負い、疲れてしまい、心休まることのない歩みではないでしょうか。ラジオの前のあなたは、今、誰とくびきを負って歩んでいるでしょう?疲れ果て、重荷に苦しんでいないでしょうか。
イエス様は、「私とくびきを負いましょう」と愛をもって招いておられます。そして、「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」とおっしゃいます。人は誰かとくびきを負い歩む存在のようです。同じくびきを負い、共に重荷を担うなら、負いやすく、荷は軽い方がいいですよね。あなたも、イエス様の愛の招きに応えて、イエス様とくびきを負う歩みを始めませんか。

コメント

中野周治
『誰でも私について来たいと思うなら自分を捨て自分の十字架を負って私に従って来なさい!』新約聖書マタイによる福音書16章24節

コメントを削除する

このコメントを削除しますか?

パスワード

もっと見る

コメントを投稿する

お問い合わせ